『舞田ひとみ11歳、ダンスときどき探偵』(歌野晶午/光文社文庫)

 寮と署を往復しているだけで、はたしてこの事件を解き明かせただろうか。前だけ見ていたのでは、横や後ろの風景は目に入ってこない。空や海に境目がないように、隣の町で聞こえた銃声も、テレビに映る青空の下の難民も、人知れずミイラ化していく独居老人も、食卓を囲む家族の笑顔も、みんなどこかでつながっているのだ。
(本書p75より)

 歌野晶午『密室殺人ゲーム2.0』という作品で第10回本格ミステリ大賞を受賞しました。『密室殺人ゲーム2.0』には前作に当たる『密室殺人ゲーム王手飛車取り』という作品がありますが、両者とも、ミステリとしての問題を出題するために殺人を実際に行なうという極めて不道徳な内容なお話です。
 本書は『密室殺人ゲーム王手飛車取り』から2作目に刊行された作品に当たりますが、本書にはタイトルどおり舞田ひとみという11歳の女の子が主要人物として登場します。そして、彼女の父親である理一も、彼女の叔父であり刑事である歳三も、ひとみと彼女に気をかけた生活をしています。なので、本書にはひとみを始めとする青少年への悪影響を心配したり不安に思うような内容の記述が、ときにお説教じみた口調で語られたりするのですが、それはひょっとしたら『密室殺人』シリーズに対してのカウンターという意味合いもひょっとしたらあるのではないのかなぁ、と思ったりしました。
 本書は舞田歳三という刑事が主人公の連作短編形式のお話です。一話ごとに事件が解決して次のお話へと進んでいきますが、単純な一話完結形式のお話ではありません。前の話に出てきた人物が次の話にも出てきたり、あるいは、前の事件についての意外な事実が次の話で明らかになったりなど。なので、事実上二つ以上の事件を扱っている、という事態もときに生じます。また、作中でも、

「一つ事件を解決しても、一つ事件が生まれる。いや、二つも三つも、どれだけ靴をすり減らし、脳味噌を絞り出したところで、犯罪はなくなりゃしない。平穏な世の中など幻の中にしか存在しないんだ。この仕事が虚しくなるよ。無力な自分も腹立たしい」
(本書81より)

というように、刑事という職業においては「一区切り」など存在しないということが暗に述べられています。
 刑事が主人公の小説に最近よく見られる形式にモジュラー型というものがあります。すなわち、複数の事件が同時並行的に描かれつつ、それがミステリであれば、ときに意外な接点から意外な方向へと物語が進んだりする形式の物語のことを指します。そうした形式は、実際の刑事という職業を描く上ではリアリティや臨場感を生み出す上で非常に効果的だと思いますが、反面、非常に煩雑で読者も作者も混乱しやすいというデメリットもあるのも否めません。長編ならともかく、短編としてのネタであればやはり「一区切り」があった方が読みやすいのは確かです。ということで、短編形式とモジュラー型との中間的な形式を模索したのが本書の密かな目論見なのではないかと思うのですが、そんなに自信があるわけでもないのであしからず(笑)。
 以下、各話ごとの雑感。

黒こげおばあさん、殺したのはだあれ?

 東野圭吾の某有名作品をどうしても思い浮かべてしまうのが痛いですね。

金、銀、ダイヤモンド、ザックザク

 本書で扱われる事件には因果応報の側面が少なからずあるのですが、本件の後味の悪さはなかなかです。

いいおじさん、わるいおじさん

 物事には様々な側面があるということで。

いいおじさん? わるいおじさん?

 物事にはさらに様々な側面があるということで。

トカゲは見ていた知っていた

 殺人事件としては極めて平凡。ただ、トカゲのタトゥーは最後まで読むと意味深ですね。

そのひとみに映るもの

 なるほど。そんなメインストーリーが隠されていましたか。お見事です。