夢野久作が挿絵と闘った話

脳Rギュル ふかふかヘッドと少女ギゴク (ガガガ文庫)

脳Rギュル ふかふかヘッドと少女ギゴク (ガガガ文庫)

 ガガガ文庫の作品には、”跳訳”と呼ばれる試みが行なわれているものがあります。名作古典をライトノベルとして現代に甦らせた作品のことですが、その中のひとつに、夢野久作の短編『人間レコード』を主たる原作とした『脳Rギュル』があります。短編が長編に膨らまされているため*1、コンセプトとなるアイデアには共通性が感じられるものの、時代背景や登場人物・人間関係を始めとするストーリー自体は”跳訳”者である佐藤大のオリジナルといっていい仕上がりになっています。
 一方で、いわゆるライトノベルと呼ばれる作品にはイラストが付き物なわけですが、そちらの方にはかなり頭を悩まされたのではないかと推察されます。何しろ、原作と跳訳とで雰囲気がどのように違うのかを把握するのはなかなかに難儀なことだと思うのです。結果として、本作のイラスト*2は表紙にしろ挿絵にしろ登場人物の絵に終始していて、作中の背景などはほとんど描かれていません。正直物足りないように思いますが、キャラクター小説といわれることもあるライトノベルとしてはこういうのもありなのでしょうね。
 このように、ライトノベルでは小説本文とイラストとの関係が問題となりますが、本書の原作の作者である夢野久作にも、自身の作品に付けられる挿絵と闘ったエピソードがあります。それは、新聞紙上に『犬神博士』を連載していたときの話です。

「犬神博士」は私が何等の自信もないままに、突然福日社から頼まれたものです。むろん一度ならず、お断りしかけましたし、福日社も私の危虞を察して「それじゃ止そうか」と云われたものですが、旧知の青柳君がどこかで「挿絵は生れて初めてだが、夢野君のものなら扱ってみたい」と云った事を洩れ聞きましたので、すっかりインフラしてしまって、とうとう無理に福日社へ押しかけて書かしてもらうことになったものです。もちろん私も新聞ものは生れて初めてでしたので、「新米同志なら一丁来い」という気持が主になっていた事は否定出来ません。青柳君も、馬琴の八犬伝を「俺の絵で売れるんだ」といった北斎ぐらいの自信は持っていたことでしょう。
 ところが私の「犬神博士」の方は不慣れなのと、追いかけられるのと、母の大病と、そのほか何やかやゴチャゴチャしたために思わぬ失態が百出しまして、とうとう打ち切られてしまいました。……にも拘わらず挿絵の方は非常な好評で、引き続き大家、十一谷義三郎氏の「神風連」を描くことになりました。つまり私の筆の方は残念無念にも、完全にノック・アウトされた訳で、自分ながら小気味のよい思い出になってしまいました。
『挿絵と闘った話』(夢野久作/青空文庫)より

 小説よりも挿絵の方が人気が出てしまったというオチなのですが、ライトノベルの表紙買い*3とか太宰治『人間失格』の表紙が小畑健になって売れ行き増加といった話を思い浮かべますけど、そういう小説とイラストの関係というのは昔からいわれてたんだなぁ、ってなことをしみじみと思いました。
 ちなみに、文中の青柳こと青柳喜兵衛の絵はこんな感じですのでご参考まで。
【関連】第15回電撃小説大賞4作品に見るラノベにおける挿絵の役割 - 三軒茶屋 別館

*1:『人間レコード』以外の夢野作品のエッセンスも取り込まれてます。

*2:イラストレーター:わんぱく

*3:もっとも、人によってはラノベの表紙が苦手で敬遠している方も多数おられるみたいですが。