「黙ってろ」といわれると何かいいたくなる
・12月13日(土)ザコは黙ってろの巻 - 書評王の島
・12月15日(月)ザコは黙ってろ2の巻 - 書評王の島
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……まあいいや。書きたいことを書くことにしましょう(笑)。
とはいうものの、話題になってる書評が掲載されてる雑誌を入手しようにも既に手遅れで、また、mixiにも加入してないので、細かい事情とかは一切分かりません。
なので以下の文章は、書評についての具体性に欠けた踏み込みの浅いトホホな一般論と、それに基づく考察兼スタンスの表明みたいなものと受け取っていただければ幸いです。
その1
たとえどんなに浅薄なものであったとしても、書評それ自体ひとつの作品です。それを発表した以上、その作品についてどこで誰に何をいわれても仕方がないはずです。特にプロの書評家ともなれば、いろいろいわれるために書いてるのではないでしょうか。だとすれば、自己の書評について「黙ってろ」というのは自己否定だと思うのです(何も書評に限ったことではなく表現行為全般にいえることですが)。それに、そうした表現行為の対象としては不特定多数の「読者」が想定されているはずで、特定の誰かではないはずです。そうであるならば、自己が書いたものへの反応を顕名か匿名かで峻別するのもまた無意味ではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。
その2
不覚にも誤読を晒してしまった場合に、その誤りを受け入れる意思表示は誰に対して行なうべきでしょう? まずは会話の流れとして、その誤りを指摘して下さった方には伝える必要があるでしょう。また、読み方は自由といえど、誤った読みに基づいて誤った評価を下してしまったら、やっぱり作者に申し訳ないように思いますので、作者向けにひと言あってもいいでしょう。
ただ、上でも書きましたが、書評や感想自体が一個の作品です。そうである以上、書評や感想の読者を無視するわけにはいかないでしょう。なので、訂正することがあるならそちら向けの文章が必要だと思います*1。
その3
本の読み方というのは人それぞれですから、絶対に正しい読みというものはありません。しかしながら、その一方で、間違った読みというのはあると思うのです。そこが読書の難しくも面白いところで、だからこそ文学というものが学問として成立しているのだと思います。
特に、ミステリと呼ばれる作品の場合には、作者は騙すことを望み、読者は騙されることを望むという共犯関係によって成り立っているジャンルです。それゆえに、ときに読者が完璧に騙されちゃって、本当の意味を把握し損ねたり読み抜けが生じたりして、正しい真相にたどり着けないまま変なことを書いてしまう場合があります。平たく言えば、読者が間違えやすいジャンルなのです。そもそも作家側としても騙そうと思って書いている以上、必ずしも作者がそれで不快な気分になるとは限らないはずです。
誤りは誰にでも付き物ですが、特にミステリの場合には誤読にも価値があります。それは作者からすれば「やーい。引っかかってやんの」というようなものだったりもしますが(笑)、問題意識のないところに議論は生まれません。その意味で間違いはとても大事なのです。
ですが、だからといって間違えてもいいってことではありません(笑)。というわけで、読みの正しさを確認し合ったり、あるいは反対に読みの誤りや抜けを指摘してもらうために、書評や感想が書かれたり読まれたりすることになります。少なくとも私自身はそういう気持ちで当サイトで書評を書いています。なので、何かおかしなことなどがございましたら、お気軽にご指摘くださいませ。「過ちを改むるにはばかることなかれ」の精神でどんどん修正しますのでよろしくお願いします(ペコリ)。