第15回電撃小説大賞4作品に見るラノベにおける挿絵の役割

 第15回電撃小説大賞4作品を読んでみたのですが、各作品での挿絵の用いられ方がそれぞれ面白いと思ったので簡単にまとめてみました。

パララバ―Parallel lovers 』の場合

パララバ―Parallel lovers (電撃文庫)

パララバ―Parallel lovers (電撃文庫)

 『パララバ』(作者:静月遠火/イラスト:越島はぐ)の場合には、各章の扉に挿絵が描かれています。綾と一哉の日常。水滴で描かれた文字。いっしょにいることはできない二人。そういったものが描かれる一方で、作中の登場人物の表情などは直接的に表現しないよう慎重な配慮がなされています。それもそのはずで、なぜなら本書がミステリ形式の物語だからです。
 『野性時代 第64号』では道尾秀介特集*1が組まれていますが、その中で道尾秀介は次のように述べています。

道尾 活字でしか出来ないことをやりたいというのが僕の出発点なので、言葉でしか成立しない誤解を書きたいという気持ちがあるんだと思います。例えば『骸の爪』にしても、たぶんこれが映像化されたら「それはないでしょう」といって笑われる。でも活字で書くと、ありえるような気がする。それが活字の強みだと思うんですね。例えば、「鏡というのはどうして左右が逆さまになるのに上下は逆さまにならないんだろう」と言われたら、何か不思議な気分になるじゃないですか。でも実際に目の前に鏡があると不思議でも何でもない。不思議でないものを不思議と思わせる力が、言葉とか文章にはあって、僕はその文章の利点を生かしたい。そのノウハウを一番持っているのはミステリーというジャンルだから、言葉の利点を生かして小説を書こうとするとミステリー小説になるんだと思います。
(『野性時代第64号』所収「Long Interview 活字でしか出来ないこと」p19〜21より)

 口絵とか挿絵といったイラストは小説本文をサポートするためのものであって、本来なら必ずしも必要なものではありません。にもかかわらず、その存在がほぼ絶対のものとされているのがライトノベルです。しかしながら、イラストの存在はときに文章の利点を最大限に生かそうとするミステリーのノウハウと衝突する場合があります。だからこそ、ミステリ形式の物語に挿絵をつける場合には慎重にならざるを得ません*2。ミステリという形式を損なうことなく、それでいて物語の雰囲気を作り、あるいは醸し出していくのが、本書のような作品において挿絵に求められている役割だと思います。
【関連】『パララバ―Parallel lovers 』(静月遠火/電撃文庫) - 三軒茶屋 別館

アクセル・ワールド』の場合

アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)

アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)

 『アクセル・ワールド』(作者:川原礫/イラスト:HIMA)の挿絵は、極めてオーソドックスなものといっていいでしょう。ヒロインである《黒雪姫》の登場シーンから始まって、ヒロユキとチユリ、タクムの3人といった主要人物。そして、学内ローカルネットワークと《加速世界》でのアバターを描くことによる映像的なイメージの補完。多少お色気に走っているところもありますが(笑)、作中で描かれているシーンを的確にサポートするものとして機能していると思います。ただし、それだけに作中の描写と挿絵に齟齬がある場合にはちょっと困ってしまうのも確かです。本書の場合ですと、例えば《黒雪姫》の描写については、

ダークグレーのブリーツスカートから覗く足は、これも黒のストッキングに包まれている。
(本書p33より)

となっているのに、p35の挿絵ではそうはなってはいません。ぶっちゃけてしまいますと私などはイラストなど別になくてもいいと思ってるので、こうした齟齬が生じたときにはイラストの方をあっさり無視しますが(笑)、こうした作業に手間暇をかけなくてはならないのがライトノベルが他の小説とは異なる点なのは間違いないですね。
【関連】『アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還』(川原轢/電撃文庫) - 三軒茶屋 別館

東京ヴァンパイア・ファイナンスの場合

 『東京ヴァンパイア・ファイナンス』(作者:真藤順丈/イラスト:佐々木少年)には、各章の始めに章の内容を漫画化したものが載っています。

 なんでまたコミックと一緒に、もしくは連続的に、並べているかといいますと……もちろん売り上げを伸ばすためであります。メインの購買層である中高生の、目につきやすいところに置かなきゃ意味がないからです。コミックを買う層はラノベも買う。小売りの経験則は、そう教えているわけですね。
 かつての「字マンガ」という蔑称がここで思い出されるわけですが、実際ある意味そうなんですからしょうがない。べつに、「明日からライトノベルのことを”字マンガ”と呼ぼう!」と提唱しているわけではないのですよ。誤解のなきよう。
 でも、マンガとの親和性が高いのは事実なんです。今や正式名称となったライトノベルは作品/商品の内容的特質を和製英語で表していて、蔑称の「字マンガ」は同じことを既存の物語形式からの比喩で表している。その二つをよくよく見てみれば、指摘している特質自体は、ようするに同じなんですね。
(『ライトノベル「超」入門』(新城カズマソフトバンク新書)p77より)

 などと言われてはいても、それにしたってやはり漫画は漫画、小説は小説なわけで、口絵ならともかく、挿絵で漫画が載っているのはかなり珍しいと思います。まるで章ごとに映画の予告編があるみたいです。とは言え、実際に読んでみるとそれほど違和感がないのも確かです。それには本書特有の混乱状態を少しだけ整理してサポートするという意味合いを含みつつ、こうしたところにも漫画とラノベの親和性みたいなものが表れているといえるのかもしれませんね。
【関連】『東京ヴァンパイア・ファイナンス』(真藤順丈/電撃文庫) - 三軒茶屋 別館

ロウきゅーぶ!』の場合

ロウきゅーぶ! (電撃文庫)

ロウきゅーぶ! (電撃文庫)

 『ロウきゅーぶ!』(作者:蒼山サグ/イラスト:てぃんくる)の挿絵は、一見するとぶっ飛んでいるように思いつつ、実はもっとも今風のライトノベルらしい挿絵のような気もします。

 ライトノベルを評価するにあたっては、作者と同じくらいイラストレーターも考慮する必要があります。ほんとうかどうかはともかく、「ライトノベルのシリーズ一巻目はイラストで売れて、二巻目以降は話で売れる」などと俗に言われるぐらいなのですから。
(『ライトノベル「超」入門』(新城カズマソフトバンク新書)p95〜96より)

 本書はバスケを題材にした小説ですから、パスとかドリブルとかシュートといったバスケのシーンを挿絵にするのが普通の考え方だと思います。ところが、本書の挿絵はそうした場面どころかバスケのボールやゴールすら出てきません。出てくるのは女の子の絵ばかりで、しかも物語的にはさして重要でもないお風呂トークで見開きが使われてたりします。いやはや何とも……。
 伊達にロリコンを謳っているわけではありませんが(笑)、こんなことができるのも、本書の内容自体はちゃんとしたスポ根ものだからです。表面的にロリコンロリコンと騒がれれば騒がれるほどスポ根ものとしての内実が強調される、という流れを狙ってのものだと思います。もちろん、一見さんを引きつける狙いも多々あるのでしょうが*3
 とは言え、絵を見てもネタバレにならず、それでいて読者を呼び寄せる効果があるのだとすれば極めて有効な手法であることは確かだといえるでしょう。ただ、ここまでやってしまうと本当にイラストレーターとの相性でその本を読む・読まないが決まってしまいそうで、それはそれで小説として正直どうかとは思いますけどね。
【関連】『ロウきゅーぶ!』(蒼山サグ/電撃文庫) - 三軒茶屋 別館



 以上、電撃小説大賞4作品における挿絵の関係というか役割というものについての雑感を述べてきましたが、こうした違いというのは電撃文庫側で意識的に作り上げたものだと思います。そういう意味で、本記事は言わずもがなのことをわざわざ言っただけという自覚はありますが、これもまたネームバリューのない新人さんの本を出す上での工夫ということなのでしょうね。
【関連】夢野久作が挿絵と闘った話 - 三軒茶屋 別館

*1:ファンなら必読といっても過言ではない豪華な内容です。

*2:余談ですが、ミステリーを志向した富士見ミステリー文庫が”LOVE寄せ”に走り、新刊が稀にしかでない現状を迎えてしまった原因もこの辺りにあるのではないかと推察されます。

*3:もっとも、ここまでするとドン引きされるリスクもかなりあると思うのですが……。