『目薬αで殺菌します』(森博嗣/講談社ノベルス)

目薬αで殺菌します (講談社ノベルス)

目薬αで殺菌します (講談社ノベルス)

 裁判官「今回の事件を起こした理由は?」
 被告「ほかの人の反応を見て楽しもうと…」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/187858/より

 審理の対象となっているのは女性に対しての脅迫事件ですが、記事として取り上げられているのはその動機です。被害者である女性個人に恐怖心を与えたいという気持ちがなかったわけでもないのでしょうが、「ほかの人の反応が見たかった」という動機は、ネット社会が発展した現代こその犯罪形態といえるかもしれません。
 社会に混乱を与えるという目的での行為。それは最近の森博嗣のGシリーズにも通じるものがあります。S&Mシリーズから始まり、Vシリーズ、そしてGシリーズと進んできている一大シリーズは、Gシリーズになってそのフレームが大きく変わってきています*1
 社会へ混乱を与えるという以上に、人間とその社会システム自体を観察しようという試み。人間が人間というものを長期的に観察しようとすれば、個体の時間、つまりは寿命の問題を解決しなければなりませんが、それは百年シリーズを既読の方であればすでにご承知置きのことでしょう。百年シリーズの世界は、現在の社会とはかなり異なる様相を呈しています。
 今の政治的社会的システムがいかにして百年シリーズのそれへとつながっていくのか。真賀田四季が作り上げようとしているシステム。それは、国際的な規模のフェイルセーフ的なシステムであり、本質的にはトロイの木馬ではないかと思います。フェイルセーフとしてのシステムを構築することで現行システムとの衝突をできるだけ回避しつつ、現行システムに干渉して、それに代わる存在として機能することを目的としたシステム。
 長期的・超個人的な革命が暗示される一方で、古風な革命のビジョンも本書では描かれています。時代遅れの学生運動を髣髴とさせるような動き。S&Mシリーズでも少し描かれていたことがありますが、旧式の革命運動が本作のような独特の革命運動とリンクされているところに、作者である森博嗣が生きた時代、”世代”というものを意識せずにはいられません。森博嗣が少年時代に見ていたであろう学生運動というものへの疑問と答え。そうしたものが多少なりとも描かれているのが本作だと思います。森博嗣なりの”大きな物語”。それが四季サーガの意図でしょう。
 ちなみに、本書では海月に対しての加部谷のアプローチにもかなりの字数が割かれています。これには、恋愛というものが個人の人生というレベルにおいてフェイルセーフを用意するものであり、かつ、自分自身の中に違った時間の流れを作り自らと他者を観察することにつながる、という意味合いが込められているのではないか、というようなことを思いました。

*1:正直、ミステリとしての面白さはほぼ皆無といっていいでしょう。