森博嗣『クレィドゥ・ザ・スカイ』中公文庫
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 単行本
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『フラッタ・リンツ・ライフ』既読のかた推奨です。
あらすじ
怪我により入院をしていた「僕」は、病院から脱出しフーコのもとへと向かう。
キルドレの秘密を知るサガラのもとに向かう「僕」は、幻覚と記憶障害に悩まされていき・・・という話です。
キルドレと「永遠の生」
今作では「キルドレ」について数多くの秘密が明かされます。
科学者であるサガラは、キルドレは肉体的な変化を停止しているゆえに、処理を無意識に行なうことで処理経路の短絡化を図ります。それに伴い、記憶障害や幻覚(デジャヴに近い)が起こる、と説明しています。
また、女性のキルドレはキルドレでなくなる手段がある、ということも語られます。
このシリーズの軸の一つである、永遠の生を生きる「キルドレ」という存在。
フジモリは、真っ先に相田裕『GUNSLINGER GIRL』を思い浮かべました。
薬物による洗脳を施した「義体」と呼ばれる戦闘少女たちは、自身が何者かということを捜し求めることすら叶いません。また「条件付け」により愛情にも近しい「担当官を守る」というモチベーションを持つことで、辛うじて「生」を保っています。
一方のキルドレも少年少女の姿を保たれたまま、ともすれば「兵器」と称されるほどの(戦闘機乗りとしての)能力を持っています。空に対する病的なまでのモチベーションを持つ一方で、自身が何者かという問いにすら答えることも出来ません。
永遠の生を持つがゆえに「死」に深く関わる仕事を行なう、という皮肉は、沙村弘明『無限の住人』とも共通する、業の深さを思い起こさせます。
また、キルドレは薬物によって記憶障害を進行させ、「全く別の人間」にすることも可能だ、との仮定も説明されていました。自身に残る「パイロットの記憶」は、本当に自身のものなのか?最終巻『スカイ・クロラ』では、この「仮定」を裏付けるであろう物語になっています。そしてそれはまた、一定条件を満たすまで死んでもリセットされる、いわば仮想の「無限の生」を歩む物語である桜坂洋『ALL YOU NEED IS KILL』と相似感を思わせます。同作ではシューティングゲームになぞらえ「肉体は死んでも、プレイヤーの経験値は残る」ことを小説として昇華させた傑作であると思いますが、「キルドレ」も同じく、経験値を積んでいくことにより「死んでもレベルアップする」無限の生という存在であるともいえます。しかしながら「肉体は死なないが自己は死ぬ」という、『ALL NEEDS YOU KILL』と真逆の状況であることが、よりいっそう「キルドレ」の存在を浮き彫りにしていると思います。
今作の構成
この巻は様々な謎が明らかになると同時に、最も読解が困難な巻でもあると思います。
冒頭で病院を脱出し、フーコと逃避行した「僕」。幻覚の記載が巧みにまぶされ、読者も現実と幻覚の区別がつかなくなります。そして最後に起こる、どんでん返し。
「僕」とは誰だったのか?読者は最後に衝撃を受けることでしょう。
おそらく、「僕」とはクリタかクサナギのいずれかとは思うのですが(そこでまた、両者の一人称がともに「僕」であるという森博嗣の巧みな伏線に感心するでしょう)、最後の「僕」がクリタだった場合、彼は別の存在としてパイロットになるという最終巻の物語に繋がりますし、クサナギだった場合サガラが「キルドレに戻した」という発言がぴったり嵌まります。
実際のところ、短編集『スカイ・イクリプス』を読むと「僕」がどちらかなのか分かるようになっていますが、それはさておき。
森博嗣は「能動的な読み手」に向けて「正答を与えない記述」をたまに行ないますが、今作でもまさに最大の「謎」を「謎」として残し、それがまた「余韻」となっているのだ、と感じました。