『アデスタを吹く冷たい風』(トマス・フラナガン/ハヤカワ・ミステリ)

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ 646)

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ 646)

「この国では、愛国心にも、それぞれ別個の根拠がある。それを聞いて歩くのが、おれは好きなのさ。いわばおれの道楽だが」
(本書p16より)

 本書は短編集です。革命により軍事政権となった架空の小国を舞台にしたテナント少佐シリーズが4編、法廷ミステリ風味が2編、そして時代ミステリが1編収録されています。発表年代は1949年から1958年にかけてのものです。
 私はテナント少佐シリーズが読みたくて本書を手に取りました。EQMMに掲載されていた作品ばかりなのでミステリとしての読み応えは十分ですが、軍事政権という特殊な設定下での推理にはいろいろと考えさせられるものがありました。それ以外の作品ももちろんオススメです。

アデスタを吹く冷たい風

 テナント少佐シリーズは架空の小国が舞台ですので、アデスタも架空の地名です*1
 国境を越えて銃が密輸されていることは間違いない。しかし、その手段として考えられる葡萄酒を運搬する商人のトラックをいくら調べても銃を発見することはできなかった。いったいどうやって銃は密輸されているのか?
 軍事政権という独裁政権下である以上、銃が密輸されているとしか考えられない状況さえあれば、それだけで関係者を処罰してしまっても構いません。実際、本シリーズの探偵役(?)であるテナント少佐も同様の趣旨のことを述べているのですが、それでも論理に基づいた真実を探求しようとします。その結果として導き出される真相は、ミステリとしてはいささか拍子抜けな感は否めません。しかしながら、探偵という行為を考える上で非常に興味深い題材であることは間違いありません。

獅子のたてがみ

 本作ではいったい何が起きたのかを端的に表現しているタイトルが秀逸です。ホワットダニットがテーマの作品です。探偵小説における推理とは、基本的には合理性といわれるものが判断基準とされています。しかしながら、軍事政権・独裁政権という状況下での合理性と、民主政の市民のそれとは正直かなり異なります。つまるところ、合理性といってもそれは一般的でもなければ一律なものでもないわけで、そうした思考パターンそのものが問われている作品だといえるでしょう。

良心の問題

 犯罪。犯人。探偵。被害者。真実。ひとつの殺人事件におけるそうした要素が、政治的な事情が絡むことによって極めて相対的なものになっています。読者の視点はコートン医師に焦点が当てられていますが、その人物ははたしてどのような立ち位置にあるのか? どこに立てば落ち着くことができるのか? それが良心の問題です。

国のしきたり

 バドラン大尉は職務に極めて忠実に密輸を取り締まっていた。そんな彼の目をかいくぐって密輸が行なわれている形跡がある。いったいどうやって?
 バドラン大尉とテナント少佐のやりとりは探偵小説としての考え方のみならず役人同士のポリシーの比較としても面白いですが、そうした考え方のすり合わせから真犯人が導き出される展開が面白いです。

もし君が陪審員なら

 過去に起きた被疑者の関与が濃厚な事件についても有罪無罪を判断するにおいて判断材料とすべきか否かというのは、一事不再理などの法的に難しい問題をはらんでいます。それはそれとしても、どこまでの証拠があれば被疑者を死刑にできるのかという疑問は、素朴ながら難題なことは間違いありません。本書のオチはまるでショートショートのようではありますが、見え見えでありながら皮肉極まりない結末は決して嫌いではないです(笑)。

うまくいったようだわね

 テナント少佐シリーズを読んでるときにも思ったのですが、この作者は探偵や犯人といった役割を転倒させるのが好きみたいですね(笑)。やはり見え見えのオチではあるのですが、そこまでの流れが楽しいです。

玉を懐いて罪あり

 16世紀初頭の北イタリアの一城を舞台とした時代ミステリ。約20頁といった短さではありますが、歴史的な人物名や地名が頻出するので内容を理解するのに苦労しました。世界史難しいよ(恥)。密室からの緑玉の紛失。つまり密室ものではありますが、そのトリック自体は陳腐です。しかしながら、それをミスリーディングするためのやり口がこの舞台ならではです。さらには、その真相からさらなる推論が導き出され、それが語り手によって歴史の流れの中に放り込まれてしまう結末が印象的です。
【関連】ミステリと民主主義 - 三軒茶屋 別館

*1:多分。