そろそろ『しおんの王』について語っておくか

しおんの王(8) <完> (アフタヌーンKC)

しおんの王(8) <完> (アフタヌーンKC)

 将棋漫画『しおんの王』が第8巻で完結しましたので、遅まきながら気ままな雑感を少々語ってみたいと思います。
(以下、ネタバレにつき既読者限定で。未読の方はご遠慮ください。)

しおんの王』と女流棋士

 以前、『ハチワン』は将棋漫画で『3月のライオン』は棋士漫画という記事を書きましたが、そうした観点からしますと、『しおんの王』は両者の中間点に位置する存在だといえます。というような表現はフェアではありません。まず『しおんの王』があって、そこから、『ハチワン』は将棋漫画を目指し、『3月のライオン』は棋士漫画を目指していった、と言わなければ嘘になるでしょう。そんな『しおんの王』の特徴を挙げるとすれば、何といっても女流棋士を主要人物としたことにあります。
 『しおんの王』では、第一話から女流なんて言葉……いつかいらなくなるかもな(1巻p39より)といったセリフが出てくるように、女流棋士という存在について否定的なニュアンスが随所に見て取れます。そもそも、『しおんの王』の初期の主要人物は3人の女流棋士ですが、この3人の立ち位置が女流棋士という制度の微妙さを如実に表しています。
 二階堂沙織。高校生にして女流初段。将来の活躍が期待されている若手のホープです。そんな彼女は女流棋士という言葉をそのまま体現したかの如き存在です。

「あなたも経験ない? 対局前の男性棋士たちのナメた表情…… そして負けた後の恥辱を隠すような照れ笑い――」
「強くなれば煙たがられ 弱くても愛敬があれば可愛がられる……」
(本書5巻p111より)

 彼女が背負っているものは現行の女流棋士という制度そのものです。そこに隠されている将棋と性差の問題については他の二人もまた背負わされています。
 斉藤歩。男性でありながら母親の治療費を稼ぐために性別を偽って女流棋士になります。こうした歩の行動に合理性はあるのかといえば、ばれないような女装が可能なの? 書類とかどうするの? とかの現実的な問題を無視さえすれば(笑)、決して無茶なものだとはいえません。それだけ男性プロと女流棋士とでは実力に差があります。一般論として女流トップの棋力はおおよそ奨励会二〜三段クラスに当たるとされています。そうである以上、金のために勝てて稼げる女流棋戦に参加したいと思うのは無理からぬところです。
 そもそも、女流棋士とはいったい何なのでしょうか。それについて語りだすと『しおんの王』から遠く離れた記事になっちゃいますので詳細はWikpedia等に譲りますが、第1回の女流名人戦が行なわれたのが1974年。当時の女性解放運動の活発化の動きともシンクロした形でのポジティブアクションアファーマティブアクション)的な側面と、普及活動面での必要性といった理由から創設された制度・組織です。つまり、女性には育成会から女流棋士になる道と、男性と同じように奨励会からプロ棋士になる道の二つが用意されているのに対し、男性には奨励会からプロになる道の一つしか用意されていないことになります。なので、アマチュアから見れば女流棋士はプロではありますが、奨励会からプロになった棋士から見れば女流棋士は自分たちと同じプロとはいえなくて、そんな微妙な立場にあるのが女流棋士なのです。
 ただ、この制度も大きな分岐点に差し掛かっています。女流棋士会から分裂した女流棋士による新団体LPSAの創設。さらに日本将棋連盟の公益法人改革問題に伴って女流棋士の立場もまた危ういものになる恐れがあります。現在進行形の問題ですし、ここでの議論や問題提起は控えますが、今の社会に女流棋士会といった制度がどこまで認められるのかは微妙な問題だと思います。
 安岡紫音。12歳で女流棋士となった天才少女。一見するとめでたい船出のように思えますが、上記の育成会と奨励会女流棋士とプロ棋士の問題を意識しますと必ずしも素直には喜べません。確かに女流棋士という制度は女性に棋士としての生き方を助成しています。しかしながら、その立場はプロ棋士(=事実上、男性棋士)と比較すると低いものであることは否めません。そうであるならば、育成会ではなく奨励会に入会してプロを目指すのも一つの手ではあります。しかし、奨励会からプロになるのはとても険しい道のりであることも確かです。なので、紫音が女流棋士になることを選んだのも分からないではありません。ですが、12歳の女流棋士というのは、いかに女流棋士がプロ棋士よりもレベルが低いからといっても、やはり特異な存在です。これだけの才能があれば奨励会からのプロ入りを目指して欲しいと思いますし、また、それこそが本作の裏テーマだと考えられます。つまり、女流棋士という制度が才能をスポイルするための組織になっているのではないか、ということです。
 このように考えてきますと、羽仁真が裏で糸を引いていたプロアマ完全オープントーナメントの目的には、殺人を犯してまで自らが目をかけた紫音をプロ棋士にすることにもあった、ということがいえるでしょう。それは表面的には物語的なハッピーエンドとして機能してはいますけど、将棋界の現実を考えますと言葉が濁ってしまいますね(笑)。
 ただし、アマチュアのプロ編入制度(関連:プロ編入試験制度について - 勝手に将棋トピックス)の創設によって女流棋士にもプロ棋士になる道が開かれましたから、可能性の大小はともかくとして、本作で羽仁真が提唱していた将棋界の実力主義化とオープン化の問題は、本作の1巻が刊行された2004年時と比べれば大きく変化したものになっている、ということはいえますね。

しおんの王』とミステリー

 『しおんの王』のストーリーの特徴は、将棋とミステリー(あるいはサスペンスの方が適切かもしれませんが)を融合させた点にあります。もっとも、将棋ファンとミステリーファンというのは親和性が高くて、私みたいに両方のファンだという人間にしてみますと、斉藤栄『殺人の棋譜』、内田康夫『王将たちの謝肉祭』、亜木冬彦『殺人の駒音』などがありますから前例がないというわけではありません。『しおんの王』はそんな将棋ミステリーの系譜に連なる作品として理解することができます。
(1)『しおんの王』における”殺人の動機”
 上述のように、将棋とミステリーとが融合した将棋ミステリーというのは今までにも例がなかったわけではありませんが、本作における将棋ミステリーとして注目すべき点にその動機を挙げることができるでしょう。
 殺人という行為は法律によって禁止されているわけですから、納得の行く動機など存在してはいけません。それは作中で述べられているとおりです。ただ、一人の天才的な棋士を誕生させるためだけに、その子の親の両親を殺害し、それから後も彼女の大事なものを奪い、将棋しか彼女に残そうとしなかったという動機。机上の空論ではありますが、しかしながら私はこの動機にかなりの説得力を感じたのは確かです。
 以前、『3月のライオン』と4つの視点という記事を書きましたが、「棋は対話なり」という言葉があるように将棋というのはコミュニケーションのための場として機能します。その反面、将棋が強くなるということは、誰にも到達することのできない境地にたどり着くということを指すわけで、その意味ではコミュニケーションの断絶、孤立という宿命を背負うことになります。ただ、あいにく将棋は一人では指せません。高みに昇るためにはどうしても相手が必要で、それが〈将棋の神の視点〉を目指す者にとってのジレンマです。そのジレンマを解決するための殺人。それが羽仁真が紫音の両親を殺害した動機なのです。これには、一つの芸道を極めんとする者の凄みとでもいうべきものが表現されていると思います。
 その一方で、言葉を奪われることで将棋による会話だけになってしまった紫音ですが、その将棋によるつながりが、紫音にとっては他者との共有可能なイメージとしての着地点となります。「はじめに言葉ありき」ならぬ「はじめに将棋ありき」からの言葉の回復。極めて抽象的なイメージの対立かもしれませんが、人間の本質論としては深刻な対立であり重要なテーマのように思えてなりません。
(2)完全情報ゲームと不完全情報ゲーム
 本作では、盤上と盤外での駆け引きといったものが繰り広げられます。それは将棋の勝負の駆け引きでもありますし、6年前の殺人事件の真相を巡るものだったりします。そうした駆け引きはつまるところ情報戦でして、目の前にある情報からどれだけのものを導き出せるかという推理力という点で、将棋とミステリーには共通性があるといえるでしょう。ただし、推理の基礎となる情報の表れ方という点で両者には大きな差があります。
 確かに将棋にも勝負術・駆け引きがあります。自分や相手の価値を知るために相手の表情を読み取ること、終盤での時間の使い方・時間攻め、昼食休憩前のちょっとした駆け引きなどなど。そうした勝負の呼吸といったものが『しおんの王』ではかなり濃厚に描かれています。ですが、どれだけ駆け引きを駆使しようとも、将棋の場合には目の前にある盤面にすべての答えがあります。本来、何も隠されてはいない完全型情報型のゲームなのです。
 一方、ミステリーの場合にはそうはいきません。確かに、ミステリーにもフェアプレイと呼ばれる守るべき準則が理想としてはあります。それは推理のための情報が読者の前にすべて明らかにされなければならないとする精神のことで、大抵のミステリーはそれを守ろうとしています。しかしながら、それはあくまでも程度問題にすぎなくて、絶対的な基準ではありません。隠された手札は存在しますし、手掛かりは遅れてやってきます。そんな不完全な情報が明らかになっていく過程を楽しむのがミステリーである、ということが将棋との対比ではいえるでしょうし、そうした対比が将棋というゲームの魅力を引き立たせているのだと思います。
(3)ゲーム性と人間性
 将棋の強さと人間性の間に関係性はあるのかないのか。というのは棋士についての話題でときどき問題になります。一人の人間をそんなに割り切って考えることなどできようはずもないのですが(笑)、今はあまり関係がないのでは? というのがおそらく通説ではないかと思います。ただ、そうはいっても棋士だって社会を無視して生きていけるはずもないので、そういう意味での最低限の人間性は必要なのはいうまでもないことですが。
 これと同じような問題がミステリーにもあります。すなわち、ミステリーというのは物語である一方で推理ゲームでもあります。その両面はときに対立します。小説としては傑作だけどミステリとしては駄作、あるいはその反対といった評価がなされることが往々にしてあります。かつて、新本格といわれるミステリが台頭してきたときに「人間が書けてない」といった批判がなされたことがあるのですが、そんな二面性について考えたり、あるいはそれを前提とした上で両面での充足を求めるところに、将棋とミステリーの共通性があるように思います。
 他にも将棋とミステリーには共通点がありますが、そうした点については伊藤果・吉村達也『王様殺人事件』*1においても詳しく語られておりますので、興味のある方はぜひお読みになってみてくださいませませ。

しおんの王』と将棋

 『しおんの王』は将棋漫画ですので、当然のことながら作中でもたくさんの将棋が指されています。その中から目に付いたものを表として簡単にまとめてみました。

先手 後手 戦型 棋戦(収録巻)
●安岡紫音 斉藤歩 先手居飛車急戦対後手四間飛車 育成会リーグ(1巻第一手)
○(下手)斉藤歩 ●(上手)神園修*2 角落ち 弟子入り試験(1巻第二手)
○安岡紫音 ●安岡信次 先手横歩取り(?) 練習将棋(1巻第三手)
○安岡紫音 ●山田 先手居飛車対後手中飛車 女流新旧王冠戦(1巻第五手)
斉藤歩 ●安岡紫音 相原始中飛車 女流新旧王冠戦準決勝(2巻第7手〜第九手)
○二階堂沙織 斉藤歩 先手原始中飛車対後手居飛車 女流新旧王冠戦決勝(2巻第十手)
●安岡信次 ○加藤名人 先手居飛車穴熊対後手中飛車(?) 6年前の名人戦(2巻第十一手)
?二階堂沙織 ?安岡紫音 相矢倉 エキシビジョン(3巻第十三手)
斉藤歩 ●羽仁悟 先手居飛車穴熊対後手三間飛車 指導将棋(3巻第十四手)
●大田武 ○安岡紫音 先手角頭歩戦法 アマプロOP予選1回戦(3巻第十七手)
●神園修 ○二階堂沙織 先手中飛車対後手居飛車 アマプロOP予選2回戦(3巻第十八手〜4巻第十九手)
●本間素生 ○安岡紫音 先手居飛車対後手袖飛車 アマプロOP予選2回戦(4巻第二十一手〜第二十二手)
斉藤歩 ○安岡信次 先手左美濃(?)対振り飛車四間飛車?) アマプロOP予選3回戦(4巻第二十四手〜5巻第二十五手)
●二階堂沙織 ○羽仁真 先手ひねり飛車(?) アマプロOP予選3回戦(4巻第二十四手〜5巻第二十五手)
○羽仁悟 ●安岡紫音 先手謎の戦法対後手居飛車 アマプロOP予選3回戦(4巻第二十四手〜5巻第二十六手)
●安岡信次 ○安岡紫音 先手居飛車対後手振り飛車 アマプロOP決勝1回戦(5巻第二十九手〜6巻第三十一手)
●久谷啓*3 ○羽仁真 先手謎の戦法対後手謎の対応 アマプロOP決勝2回戦(6巻第三十二手)
○羽仁悟 斉藤歩 居飛車(戦型は不明) アマプロOP決勝2回戦(6巻第三十四手)
●羽仁悟 ○安岡紫音 先手初手5八玉対後手原始中飛車 アマプロOP決勝決勝1回戦(6巻第三十六手〜7巻第三十九手)
○安岡紫音 ●羽仁真 先手鬼殺し アマプロOP決勝決勝戦(7巻第四十二手〜8巻第四十九手)

 『しおんの王』の将棋は、人間同士の駆け引きというものは存分に描かれています。ネット将棋あるいはコンピュータ将棋といったものが身近にある現状では、そうした表情やちょっとした仕草、勝利の重圧、敗北の屈辱、時間の使い方といった人間同士の勝負、プロ棋戦の勝負術が念入りに描かれているのは個人的にかなりの高評価です。その反面、そうした勝負の基礎となっている将棋の盤面や展開(特に中盤)がかなり飛ばされているのは、手の意味とかを具体的に追うことができなくて将棋ファン的には少々ガッカリです。その点では『ハチワンダイバー』などと比べるとかなり落ちます。まあ一長一短ですね。単行本には原作者による「対局CHECK!」というコーナーがあって、そうした点もフォローされているように見えますが、誰のミスなのかは分かりませんが誤植が目に付くのが致命的です。ってか、最後の対局である紫音対羽仁名人戦棋譜に誤植があるのは大失態でしょう(怒)。
 まあ、誤植叩きはこれくらいにして内容の検討に入りますが(笑)、まず相振り飛車が歩対紫音のコピー将棋の一局しかないのは、増加傾向にあるとはいえ相振り飛車自体がまだまだ未知で未開の戦法であることからして納得です。居飛車振り飛車の対抗形に目を移しますと、現代の将棋では居飛車側の穴熊を警戒して振り飛車側は四間なら藤井システム(ただし減少傾向)、三間なら新早石田、中飛車ならゴキゲン中飛車、といったように「攻める振り飛車」が幅を利かせていますが、『しおんの王』の振り飛車はそれ以前のかなり古風な振り飛車ばかりです。この点、アマプロOPがネット技術などを駆使して最先端の手法で運営されているのと比較するとかなりミスマッチではあるのですが(笑)、そんな古風なところが『しおんの王』の人間ドラマ的に湿っぽいところとはとてもマッチしていると思います。
 相居飛車戦に目を移しますと、これはもう力戦型に奇襲奇策のオンパレード。原作者のかとりまさる(元女流棋士林葉直子)の棋風が反映されたものといえるかもしれませんが、将棋ファン的には正直ひきます(笑)。もっとも、連載漫画としてのインパクトを考えると理解はできますが、それにしても、勝負術の一つとはいえ定跡型から外れようとする人たちが多すぎます。そういう意味でのシッカリした将棋がもう少しあって欲しかったです。それと、作中でもいくらかフォローはされていますが、それでもやはり、名人相手に鬼殺しはねーだろ、とは今でも思ってます(笑)。



 以上、勝手なことばかり語ってきましたが、アニメ化もされゲームにもなって、漫画としての面白さはもちろんのこと、将棋の普及という面においてかなり貢献しているのではないでしょうか。だとすれば、これから先、もしかしたら『しおんの王』を読んで将棋を始めた、という棋士女流棋士)も現れるかもしれません。そんな遠くない未来のことを考えますと、将棋ファン的にはぜひとも押さえておいて欲しい作品です。

*1:この本のタイトルが示唆するように、ミステリーは既に発生した殺人事件という過去の謎を論理によって遡って解決するのに対し、将棋はいかに早く相手の王様を詰ますかという一種の殺し合いです。将棋ミステリーとは、普通のミステリーと倒叙ミステリーとの交錯(逆算と正算の交錯)、ということがいえるかもしれませんね。

*2:神園の段位って何段でしょうね。1巻p87や3巻p156だと八段ってことになってますが、3巻p178以降は九段になっています。イメージ的には九段の方が妥当だと思います。鬼神が八段では格好がつかないですからね(笑)。

*3:久谷の名前ですが1巻p73だと”徹”なのですが、3巻p132だと”啓司”になってます。ここでは一応”啓司”が正しいということにしておきましたが、久谷テラカワイソス(笑)。