将棋とやおいと攻めと受け

※注:今回の記事は将棋関係者の方は立ち入り禁止のネタ記事です。お読みになって気分を悪くされても当方は一切責任を負えませんので予めご了承ください。
 先日放送されたNHKのテレビ番組『プロフェッショナル/仕事の流儀「最強の二人、宿命の対決ー名人戦 森内俊之vs羽生善治」』は大変面白かったです(番組の内容についてはこちらのブログの記事が詳しいです)。未見の方はそのうち再放送されたりすると思うのでぜひそのときご覧になって欲しいのですが、その番組内で次のような表現がありました。曰く、「羽生の攻めに森内の受け」、とか、あまりに難解な手の応酬に「二人だけの世界」とかいわれてました。何というか、腐女子の方がニヤニヤしている光景が目に浮かんでしまいました(笑)。

やおいと将棋の”攻め”と”受け”

 ”攻め”と”受け”というのは、やおいの世界ではカップリングにおけるキャラクタの役割のことでして、”攻め”は能動的役割のキャラで、”受け”は受動的役割のキャラのことを指します。
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 その一方で、以前にも少し書きましたが、将棋においても攻めと受けといった言葉は頻繁に用いられます*1。こちらの意味は単純で、”攻め”と”受け”はそれぞれ”攻め”と”守り”のことを指します。もっとも、これは何も将棋に限ったことではなくて、例えば囲碁などでも”攻め”や”受け”といった言葉が用いられてはいます。しかしながら、”攻め将棋”や”受け将棋”といった棋風やスタイル、傾向を表す意味においてまでそうした言葉が用いられているのは、おそらく将棋くらいのものではないでしょうか。

将棋における”攻め”と”受け”の変遷

 将棋において”攻め”や”受け”の概念が強く根付いている理由として、有力戦法の歴史的な流れというものがあると考えられます。将棋の二大戦法として、居飛車振り飛車の2つの戦法(戦形)があります。居飛車とは”居”の字が示すように、飛車を初期配置のままで活用を目指す戦法のことをいいます。対して、振り飛車とは飛車を横に移動させる(=振る)ことで陣形の整備を図ることを目指す戦法のことをいいます。
 居飛車振り飛車の対立構造は昔からありました。両者の関係は居飛車の”攻め”に対して振り飛車の”受け”というのが一般的なものとされています。すなわち、序盤から飛車先の歩を伸ばすことで積極的に相手陣の攻略を目指す居飛車に対して、振り飛車側は自玉を美濃囲いに囲うことを優先してから戦いに臨もうとします。
居飛車急戦対振り飛車四間飛車

 この際、居飛車側からの仕掛けに対して振り飛車は、あたかも柔道の返し技のごとく、相手の力・動きを利用した反動で技をかけることを狙います。つまり、攻めてはいませんが単純に守っているわけでもなくて、そうした意味でも”受け”という言葉が相応しいのです。
 こうしたことから、居飛車を得意にする居飛車党と、振り飛車を得意にする振り飛車党の関係も、居飛車党が”攻め”で振り飛車党が”受け”というのが一般的なものでした。しかしながら、そうした構造を一変させる戦法が現れます。それが居飛車穴熊です。
居飛車穴熊振り飛車四間飛車

 これまでの居飛車振り飛車に対して序盤から積極的に仕掛けていくことを第一に考えていましたが、居飛車穴熊振り飛車のお株を奪うかのように自玉を鉄壁の穴熊に囲ってから戦いを起こすことを狙う指し方です。相手が攻めてこないとなると、受け手側である振り飛車は態度に窮することになります。実際、居飛車穴熊の流行によって振り飛車党は一時期激減したといわれています。
 そこで新たに登場したのが、藤井システムゴキゲン中飛車、あるいは新早石田といった「攻める振り飛車」です。これらの振り飛車は対居飛車穴熊という必要性から生まれてきたものですが、こうした動きによって居飛車振り飛車は新たなステージを迎えているのが現在の状況です。
居飛車穴熊藤井システム

 このように、昔の将棋では居飛車が”攻め”で振り飛車が”受け”とされてきましたが、居飛車穴熊の誕生とそれに対抗する形での「攻める振り飛車」の開発によって、そうした関係も相対化されました。つまり、それまでは攻めと受けというのはマクロな意味では戦法間の関係を表していたのですが、現在ではそうした関係は個人の関係に収斂されてしまっているのです。なので、将棋の対局を見る場合でも、対局者の得意戦法だけでは攻めと受けの関係を予想するのは難しくて、その人の棋風や先手後手といった手番によって決まってくることになります。それはとても流動的なものです。

やおいにおける”攻め”と”受け”の変遷

 このように、将棋における”攻め”と”受け”は、戦法間の関係から個人間の関係へと変化してきているわけですが、それと同じことはやおいの”攻め”と”受け”にもいえます。というか、こちらの変化の方がむしろ重要でしょう。
 古式ゆかしき男性観・女性観を前提にすれば、男性が”攻め”で女性が”受け”なのは論を待たないところでしょう。しかし、時代は変わりました。男男間を問題とするやおいにおいてそんなジェンダー観を振りかざしても無意味にして無力ですし、男女間においてもそんなステレオタイプな決め付けは通用しません。

現在ではひと口に「受け」・「攻め」と言っても、ステレオタイプな価値観は通用しない。
それは、ナサ攻め、ヘタレ攻め、鬼畜攻め、女王様受け、やんちゃ受け、襲い受けなどなど
「攻め」・「受け」の前にそれぞれ修飾語がつくようになり、その修飾語のほうが立場として大きな位置を占めるようになったからだ。
アニメとアキバ系カルチャーの総合情報サイト - アキバ総研より)

 こうしたやおいにおける攻め受けの変化が、将棋の居飛車振り飛車の攻め受けの変化ともシンクロしているかのように受け取れるところが個人的にとても面白く感じるところです。そうした関係の多様性、複雑性は、やおいにおいては”攻め”と”受け”の複雑化としても表れているわけですが、それはまた将棋の”攻め”と”受け”にも相通じるところがあります。
 例えば、『ハチワンダイバー』第1巻の菅田対アキバの受け師の将棋では、アキバの受け師が菅田の攻めを誘っています。これはまさに”誘い受け”です。そして、その”受け”の前にまったく及ばなかった菅田の”攻め”は”へタレ攻め”ということにでもなるでしょうか(笑)。受け師のこのような勝ち方を”受けつぶし”と呼ぶこともあります。また、「矢倉は将棋の純文学」という言葉がありますが、これは相矢倉戦特有の押したり引いたりの駆け引きを純文学のネチネチした男女の恋愛模様にたとえたものですが、知的ゲームの中にそうしたものを見出してしまうのが想像力(妄想力)の面白いところだと思います。



 以上、邪道極まりない将棋の楽しみ方を紹介してしまいました。こんなこと書いてしまって良かったのかと後悔する気持ちがありまくりなのですが、夏の暑さが私の理性を狂わせたものとしてご容赦いただくほかありません。
 ただ、知力と知力のぶつかり合いである将棋の裏側にそうした情念のやりとりがあるのだということを、こんな腐女子的な妄想まではいかなくても感じ取っていただければ、将棋の見方が少し面白くなるかも? ということはいえると思います。いや、こんな馬鹿な記事を書いてしまった後では説得力など皆無でしょうが(汗)、こういう楽しみ方もあるということでご理解いただければ幸いです。ってか、本当にごめんなさい(笑)。
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*1:将棋の歴史の古さゆえに、やおいの攻めと受けの由来は将棋ではないかという見解もありますが、そのことを根拠付ける資料等をご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただければ大変ありがたいです。