『海を失った男』(シオドア・スタージョン/河出文庫)

海を失った男 (河出文庫)

海を失った男 (河出文庫)

 語りの魔術師などと呼ばれるスタージョンの中短編集です。そのイメージから難解な作品集を想像されちゃうかもしれません。ま、そういうのも確かにありますが(笑)、でもびっくりするほどストレートなお話も混ざっていますので、ぜひ読まず嫌いせずに気楽に読んでいただけたらと思います。

音楽*1

 音楽は月明かりで僕は人狼、ひいては精神病院のお話ということでよいのでしょうか。よく分かりません(笑)。

ビアンカの手

 手フェチの物語(笑)。異性の好みを訊ねるときに「顔か中身か」といった命題が出されることがありますが、フェティシズムにはその命題についての第三の回答という意味があるんじゃないかと思ったり思わなかったりです。手というのはパーツなのでその意味では見た目ですが、その動きやしぐさからは人柄を見出すことができます。それを見つめる視線は真摯でありながらエロティシズムが濃厚に漂ってます。

成熟

 中編。タイトルどおり、成熟とは何かを追い求めた一人の男のお話です。胸腺の異常のために、非凡な才能に溢れながらも精神的には幼い少年のまま成長してしまったロビン。そんな彼のために”治療”を勧めるペグ博士。患者と医者としての二人の関係はそこはかとなく『アルジャーノンに花束を』を彷彿とさせるものがありまして物語的にも近しいものがあります*2。1952年に誕生した我が子に”ロビン”と名付けたということからも、本書のテーマへの並々ならぬこだわりを窺い知ることができます。本作の最後に示されている回答には、救われるような凹むような複雑な気持にさせられました。

シジジイじゃない

 「シジジイって何?」と思われる方はぜひ本作をお読みください。ちょっとしたクトゥルフ風味の短編です。一面的には恋愛がテーマになっているのですが、人間の関係性や個性の投影といったことについて意外と深く考えさせられます。すごいよスタージョン(笑)。

三の法則

 作者曰く、「愛というものが結局のところ性差にも一夫一妻制度にも束縛されないことがあるのを示した、おそらく初めてのSF」とのことですが、そういう意味では成功しているとは思いません。タイトルから父と子と精霊という三位一体を思い浮かべちゃいましたが、むしろそっちの読み方が普通じゃないのかなぁと、作者の思惑を無視して思いました(笑)。当時の世相についてのスタージョンの危機感が見て取れて面白かったです。

そして私のおそれはつのる

 中編。自分というものを言葉で表現できない主人公のドンがその術を身に着けるきっかけとなるフィービーの存在はカトリック的な思想が体現されたもので、それ自体は決して悪いものとして扱われていないことは本作のドンの成長を見れば明らかでしょう。ただ、それだけでは駄目というかその先があるわけです。ちょっとスピリチュアルで説教くさいところが鼻につきますが、その前向きな主張には素直に胸を打たれました。

墓読み

 墓を読む物語。それ以上はノーコメントということで。

海を失った男

 意味不明(笑)。いや、最後まで読めば真相が明かされるので決して意味不明ってことはないのですが、しかしながらそこに至るまでの何だか訳の分からないイメージの奔流が面白いです。”彼”と”きみ”という三人称と二人称が混濁して語られる本作は視点と焦点が一定することなく一人の男の内宇宙を鮮やかに描き出しています。いわゆるニュー・ウェーブSFの先駆けとして吟味する価値のある作品だといえるでしょう。

*1:晶文社ミステリから刊行された単行本では”ミュージック”だったものが文庫化に際して”音楽”に改訳されました。

*2:もっとも、発表されたのはアルジャーノン(1959年)よりも本作の方が先(1948年)ですが。