「アキバ系」という言葉がなかった頃

 なまもの!さんの隠し日記*1の2008年2月23日分を読んで興味がわいたので買った本。

わからなくなってきました (新潮文庫)

わからなくなってきました (新潮文庫)

 この本はエッセイ集なのですが、何に興味を持ったかといえば『波』96年2月号で発表されたエッセイ「渋谷ではない 目薬と生き様」です。秋葉原に行って気がついたことだが、この町はあきらかに、渋谷ではない。で始まるこのエッセイは、「渋谷系」という言葉はあっても「秋葉原系」という言葉は誰も口にしない、ということがテーマになっています。

 誰もが、「秋葉原は渋谷じゃないね」と口にするのは、「秋葉原秋葉原だから」という単純な理由からではないのではないか。「渋谷系」という言葉はあっても、けっして、「秋葉原系」という言葉は誰も口にしない。「秋葉原系」には、なにやら、気が重くなるニュアンスが含まれてはいないだろうか。
(本書p78より)

 「秋葉原系」という言葉は誰も口にしないということを論じるために「秋葉原系」という言葉を口にしているところが逆説的で面白いのですが(笑)、それはさておき、今では”原”の抜けた「秋葉系」(カタカナの「アキバ系」の方がメジャーかな?)は普通の言葉になってしまってます(むしろ死語?)。そっか。この頃はまだアキバ系って言葉はなかったのか・・・。
 もっとも、上記エッセイでは、「渋谷系」とか「秋葉原系」といった言葉はファッションの傾向を考えるための言葉として機能していまして、渋谷はピアス率が高いのに対し秋葉原はケミカルジーンズ率が高い、といった方向に話が進んでいきます。
 ところが、現在「アキバ系」という言葉を使うときには、ファッションだけじゃなくてアニメとかゲームといったオタク文化を包含するニュアンスもあると思います。いったいアキバ系という言葉はどうして生まれたのか? そこにはどのような意味が含まれているのか? ちょっとだけ気になったのでさらっと調べてみましたが・・・。
秋葉系 - Wikipedia
 思ったとおり紛糾している模様(笑)。どうやら、一度考え出しちゃうと使うのが難しくなっちゃう言葉のようですね。ま、電気街からオタク街への流れがそうした言葉を誕生させたことは間違いないわけで。もっとも、田舎に生まれ育った私のような人間にとっては渋谷も秋葉原もあまり縁を感じない場所でして軽い好奇心以上のこだわりはないのですが。でも、ちょっと面白いなとは思いました。
 もしこの件について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、荒れない範囲でご教示くだされば幸いです(ペコリ)。

*1:隠し場所の暗号に敬意を表して直リンはしません。ま、TABキー押しまくれば分かりますけどね(笑)。