『銀河英雄伝説5 風雲篇』(田中芳樹/創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈5〉風雲篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈5〉風雲篇 (創元SF文庫)

 本巻は、トゥルナイゼンという武勲を求める若き軍人の心理を説明するところから始まります。それは、フェザーンを侵略し、いよいよ同盟を打倒し銀河統一に手が届く段階にまで差し掛かった帝国軍の現状を表現してのものですが、もうひとつ、本巻全体を覆うテーマとでもいうべきものを表現したものでもあります。それは、戦場における将官の心理です。
 戦略的な意図をもって戦地に派遣された将兵に指揮された艦隊同士の戦いは、もっぱら一局の将棋のようなものです。もちろん、将棋とは異なり戦略レベルでの勝負がありますから、双方にとってまったくの互角な状況で戦うわけではありません。各々が与えられた状況で最善を尽くすことを常としつつ、相手との駆け引きに応対し、結果として戦術的勝利を手にすることを指揮官は求められます。政治的あるいは戦略レベルで考慮無用の差がついてしまった場合には、そもそも戦術と呼ばれるに値するほどの事象は発生しません。対立関係にある双方による政治・戦略面での争いがある程度煮詰まり、兵士たちの戦闘というレベルでの結果を出す必要が迫られることになったとき、戦術的レベルでの思考というものが必要になります。そのとき、片方に地の利や主導権といった優位な状況があるならば、それを利用することが勝負における第一感でしょう。それは相手の心理状態を抜きにした合理性に基づく思考によって判断することができます。では、そうした状況がない場合にはどうするか。相手に悟られないように人為的に有利な状況を作り出すのがひとつ。もしくは、そうした相手の手を読んでそれに先んじた手を打つこと。そうした駆け引きが勝敗を分ける大きな鍵となります。それは単なる合理性では説明できない勝負の心理的な側面です。一般的には悪手と評されるような手であっても、ときにはそれが理外の理として勝利に結びつくことがあります。攻撃と防御の選択肢の価値が等しい場合には、指揮官の嗜好・特徴に応じた戦術の選択が結果として奏功することがままあります(ラインハルトの用兵は先制攻撃、ヤン・ウェンリーの用兵は柔軟防御(p263)といった表現には将棋指しにおける棋風と似通ったものを感じます)。それも人間同士の勝負だからこそです。さらに集団戦ともなればさまざまな要素が戦局を大きく左右しますし、その判断は困難を極めます。だからこそ、局面が複雑になればなるほど戦争の天才はその能力を存分に発揮することができます。無能な敵を憎悪する(本書p20)ラインハルトが戦いを望む所以でもあります(「羽生さんは相手が悪手を指すと嫌な顔をする」(『羽生(プチ書評)』p140より)と相通じるものがありますね)。
 本巻では、ヤン・ウェンリーの前に、シュタインメッツ、レンネンカンプ、ワーレンといった帝国軍の名将たちがことごとく撃破されていきます。彼らは名将であるがゆえに知と理に縛られ、それによってヤンに心理的パターンを読まれて敗北を喫することになります。現代より遙かに高度な科学技術を基準とした未来での宇宙戦闘がかくもシンプルな心理戦によって決着してしまうところが、本シリーズがSF作品として物足りないのは確かなところでしょう。しかしながら、勝負における駆け引きの重要性と面白さという点ではとても魅力的な描き方だと思います。また、こうした心理面による決着が自然なものとして読者の目に写るのも、冒頭から将官の心理描写にこだわってきたからこそです。
 そうした心理描写へのこだわりは、なによりも本シリーズの最重要キャラであるラインハルトのそれにまで波及します(というより、ラインハルトの心理を描くために他の将官の心理を描いてきたというのが正しいでしょう)。『銀河英雄伝説』は、戦争というものを政治・戦略・戦術の3段階に分けて描いている点が画期的なものとして評価されています。ただ、そうした3つのレベルというものは超えられない壁のようなもので区切られているわけではなく、その間に何人もの人間が関与する中で、無意識にしろ意識的にしろ生まれてくる観念的な思考レベルです。ですから、政治的もしくは戦略的な立場でどれだけ存在感を発揮していていたとしても、そのことから戦術的なレベルとしての物質的存在としての側面が否定されるわけではありません。ラインハルトという駒は、政治的・戦略的なレベルで帝国軍の中心です。それは戦術的レベルにとどまらずあらゆる意味で無限大の価値を持つ何物にも換えられない、まさに将棋でいうところの王将です。将棋において模様や堅さあるいは駒得といったポイントをどれだけ上げたところで、無限の価値を有する王将を取られてしまえばそれまでです。したがいまして、このケースではヒルダが再三にわたり進言しているように、両回廊をミッターマイヤーとロイエンタールに任せ自らは後方に下がるか、もしくはヤン・ウェンリーになど目もくれず首都ハイネセンを陥れて同盟政府に降伏を促すといった正面決戦を避ける方策、俗手の好手とでも言うべき策がこの場合は明らかに好手です。そのことはラインハルトも分かっていますが、それでもなお戦うことに、自らの手でヤンを討つことにこだわります。言わば悪手と知りつつ指したい手を指したのです。
 第16回世界コンピュータ将棋選手権大会優勝ソフト『ボナンザ』のプログラマ保木邦仁は将棋ソフトについて「その間違い方に個性が出る」(『ボナンザVS将棋脳(プチ書評)』p112より)と述べています。ラインハルトは為政者としても戦略家としても戦術家としても能力的にはほぼ完璧な人間として描かれています。そうしたキャラクタが犯す明々白々な過ち。完璧なる独裁者というイメージからの脱却によって、ラインハルトはひとりの人間として描かれます。そうしたラインハルトの個性の発露によって戦場には死屍累々の山が築かれることになりますし、そのことは”後世の歴史家”の視点から作者は容赦なく指摘します。絶対的な正義の存在することによって描かれる仮想歴史物語は、その相対性ゆえに単なる群像劇を超えた奥深さを持って多くの読者を魅了しているのだと思います。戦闘の結果として不可避の大量死というものをラインハルトもヤンも自覚しています。ラインハルトは戦いを回避できる立場にありながら戦いを望み、ヤンは戦わざるを得ない立場にありながら戦いに疑問を抱いています。このコントラストが、本シリーズを戦争というものを鮮やかに描きながらも決して戦争賛美に堕すことのない奥行きを与えるものとして作用しています。
 前巻までで政略面での暗闘が終わっていますから、本書においては戦略・戦術面での描写が濃密に行われています。帝国対同盟、”常勝の天才”ラインハルト対”不敗の魔術師”ヤンの一大決戦は本シリーズにおける最大の山場といっても過言ではありません。マクロな視点から描かれる戦争というのが魅力な本シリーズではありますが、本巻では指揮官や一兵士視点での戦闘が伸び伸びと描かれています。頭脳戦に心理戦、補給から最前線、大局から局所まで、様々な角度から戦争というものを描き出されている本巻は、シリーズにおいても白眉の出来だと思います。
 読者の期待通りのストーリーが想像以上の面白さとなって読者のもとに届けられますが、結末は予想を上回る劇的なものでした。私が初めて本シリーズを読んだのは随分昔のことですが、その衝撃は今でも忘れられません。印象的な場面はいくつもありますが、それをいちいち指摘するのは野暮というものでしょう。ただただ読んで欲しいとオススメするばかりです。
 蛇足ながら小ネタをひとつ。ラインハルトがヤンとの決戦を挑むに当たって採用した機動的縦深防御戦法ですが、これは武田信玄の雁行の陣がモデルとなっているみたいですね(これにもまたモデルがあるかもしれませんが)。
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