『惑星のさみだれ』太朗の願いと慰謝料請求権の相続について

惑星のさみだれ 4 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 4 (ヤングキングコミックス)

 『惑星のさみだれ』は、精霊アニマとそれに仕える獣の騎士団が、地球を守るために魔法使いアニムスと戦うお話です(表向きは*1)。
 獣の騎士は、命がけの戦いに挑むにあたり、先払いの報酬として願いをひとつ叶えることができます。騎士の一人であるネズミの騎士・日下部太朗は、瀕死の重傷を負ったときに回復させることを望みました。

「命に関わるダメージを負った時 それを回復させることは可能だ」
「だが条件がある ダメージを受けた瞬間 それを本人が自覚できること」
「つまり即死でないこと」
「死者は生き返らない」
(『惑星のさみだれ 4巻』p96より)

 願い事が叶うといっても万能ではありません。例えば、死者を蘇らせることはできません。なので、ダメージ回復という願い方になりました。この願いは条件が成就されたら自動的に発生するタイプのものではなく自らの意思にかかってきます。自らがダメージを受けたことを自覚する必要があります。したがって、即死の場合、あるいは意識不明の状態で致命傷を負ってしまった場合には、能力は不発のまま死亡してしまうことになります。もうちょっとうまい願い方はなかったのでしょうか?
 法律学でもこれと似たような問題があります。それが、不法行為における慰謝料請求権の相続です。
 慰謝料とは精神的な苦痛・損害のことです(民法710条)。主観的な感情が根拠となっていることから一身的専属権とされています。つまり、精神的損害を受けた本人がそれを行使することが必要で、それによって請求権が発生し、そうなればあとは通常の金銭債権として相続の対象となる、というのが一般的なパターンです。怪我や薬害による病気といった場合にはこの原則で普通は何の問題もありません。ところが、瀕死の重傷を負ってしまった場合にはそうした時間的余裕がありません。慰謝料請求権の行使を主張しないまま死亡してしまうと、その慰謝料請求権は発生せず、当然遺族にもそれが相続されることはない、ということになってしまいますが、果たしてそれでよいのでしょうか。
 判例(大判昭和2年5月30日)は当初、事故の被害者が「残念残念」と叫びつつ即日死亡したという事例で、「残念残念」という言葉は、自己の過失を悔やんでいるといった特別の事情がない限り、慰謝料請求権の意思表示であるとしました(残念事件と呼ばれています)。つまり、形式ばった意思表示は必要ないけど、少しでもいいから意思表示を表明することが必要だとする考え方です(意思表示表明相続説と呼ばれています)。
 しかし、このあと、上記の判例を受けまして次のような判決が出されることになります。

(1)東京控判昭和8年5月26日:船が沈没して溺死した人が水中から手を出して「助けてくれ」と言っただけでは慰謝料請求の意思表示とはいえない。
(2)大阪地判昭和9年6月18日:「くやしい」と言ったのは慰謝料請求権の意思表示である。
(3)大判昭和12年8月6日:「向こうが悪い」と言ったのは慰謝料請求権の意思表示である。

 えーと、さすがにこれはおかしいですよね。まず、誰にも看取られずに死んでしまったらどうなるのでしょう? 仮に誰か聞いてたとして、その信憑性はどのように判断されるのでしょうか? それに、死に際の言葉によって慰謝料請求(の相続)が認められたり認められなかったりということになってしまうと、最期の力を振り絞って「慰謝料よこせ」とか言わなくてはならないことになってしまいます*2。また、そうした意思表明ができるだけの時間がある場合と即死の場合とでは、物理的に即死の方が大きな衝撃を受けていることが予想されますが、それにもかかわらず被害額において即死の方が少なくなる可能性があるというのも納得のいかないところです。もっとも、上述したように慰謝料とは精神的な苦痛・損害ですから、即死してしまった場合や意識不明の場合にはそうした精神的苦痛を感じたはずがない*3ので慰謝料請求権の発生とその相続は認められない、という考え方も理論的には十分考えられます。しかし、それではまるで殺し得・殺され損を助長するようなものですし、公平を欠いた議論だと言わざるを得ないでしょう。
 そこで、最判昭和42年11月1日の判例によって上記の原則は変更されました。すなわち、不法行為の被害者は損害の発生と同時に慰謝料請求権を取得し、それを放棄したものと解し得る特別の事情がない限り、これを行使することができ、また、同人が生前に請求の意思を表明しなくとも当然に相続される、ということになりました。つまり、即死の場合でも慰謝料請求権は相続人に相続されるということになり、慰謝料請求権の不発という事態は回避されることになりました*4。めでたしめでたし。
 というわけですので、即死した場合の慰謝料請求権のように、太朗の願いが不発生のまま終わらないことを祈ります(そもそも、そんな事態にならないのが一番ですが・笑)。
 なお、本記事を書くに当たっては、『民法Ⅱ債権各論 第2版』(内田貴東京大学出版会)、特にp437以下を徹底的に参考にしました。もっとも、文責はあくまでも私にありますので、間違い等のご指摘には素直に応じる所存です。ご意見などございましたらお気軽にコメントなりトラバなりでお寄せ下さいませませ(ペコリ)。

民法 2 第2版

民法 2 第2版

*1:実際は、「この地球を砕くんは、私の拳やからじゃーーーーっ!!」(1巻p48より)とあるように、地球に対してのツンデレとでもいうべき物語です。

*2:最初にこの判例を出した大審院の裁判官にこの物語の半月や師匠の最期を見せてやりたいです。

*3:この点については、傷害と死亡、もしくは意識不明との間には観念上の時間間隔があるとしてそれをクリアする考え方もあります

*4:もっとも、即死の場合において損害賠償請求権(慰謝料含む)の相続を肯定するのはあくまでも判例の考え方です。学説はむしろ否定説、すなわち被害者の損害を相続するのではなく、被害者の遺族固有の損害賠償・慰謝料請求権で考えればよいとする固有損害説が通説です。両者は理論的にかなりの違いがあるように思えますが、実際の結論・損害額という点では両者の間にそれほど隔たりが出るような議論でもないので、それほど大きな争いにはなっていないみたいです。詳細は内田貴民法Ⅱ 債権各論』参照。