『『クロック城』殺人事件』(北山猛邦/講談社文庫)

『クロック城』殺人事件 (講談社文庫)

『クロック城』殺人事件 (講談社文庫)

 叙述トリックが幅を利かせている昨今、物理トリックなる肩書きはとても不便で不自由なものだと思うのですが、そんな肩書きが枕詞のようについて回る北山猛邦メフィスト賞受賞作品です。
 それにしても不思議な物語でした。本書は、裏表紙に書かれているあらすじ、あるいは有栖川有栖の解説においても”本格ミステリ”として評価されていますし、私も大筋ではそれに異を唱えるものではないものの、釈然としない気持ちが残るのも正直なところです。もっとも、だからつまらなかったというわけではなくて、むしろ面白かったのですが……。このもやもやの理由はハッキリしています。それは、本書が〈ゲシュタルトの欠片〉といった幽霊めいた存在や〈インサイド〉といった魔術(?)が存在する物語、すなわち、いわゆるSFミステリ(参考:プチ書評 ランドル・ギャレット『魔術師を探せ!』)であるにもかかわらず、その社会でできることとできないことの境界の確定がなかなかなされない(それどころが物語が進んいく中で崩されていく)からです。本書の冒頭で『カニッツァの三角(参考:ゲシュタルト心理学成立の背景)』なるものについて語られます。これを読んだ私は全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる(参考:Wikipedia:シャーロック・ホームズ)という消去法の推理を思い浮かべました。真実の周囲に存在しうる仮説をつぶしていくことで見えてくる、消去法による真実の顕現。もちろんそれは私が勝手に抱いたイメージに過ぎませんし、作中でそれが裏切られても全然構いません。構いませんが、可能・不可能の境界決定がなされないままの物語の進展がストレスだったことは正直に告白します。ただ、それでいて本書のトリックは紛れもなく物理トリックです。終焉を迎えつつあるディストピア的雰囲気によって強烈に彩られている幻想世界にあって、そのトリックは確かに輝いています。ですから、「最初の幻想的な雰囲気に惑わされないで下さいよー」という意味で、本書について物理トリックが強調されて宣伝されてるのにも納得です(実際、そうでなかったら私が本書をページをめくり続けていたかは疑問です)。物語の最終局面における推理戦もとても面白かったですし、途中でくじけず最後まで読んでよかったと、今となっては心底思っています。物理トリックばかりに眼が行きがちですが、要所要所で視点を巧みに切り替わることでギリギリまで特定の人物に探偵役としての特権が付与されません。この工夫によって最後まで物語に緊張感がありますし、そこで語られる真相の衝撃も否応なしに高まるというものです。それにしてもこの真相はいい意味で捩れていて刺激的で記憶に残るものです。解説で有栖川も述べていますが、よくこんなことを思いついたものです。感心します。
 それにしたって、何故このトリックをこのような幻想的な世界に放り込んだのでしょう。いや、こうした世界観がある程度の数の読者に対してそれなりの訴求力があり得るであろうことは認めます。認めますが、その反面、私のように本格ミステリにガチガチの推理を求めてしまいがちな頭が硬直している人間からは見放されかねない可能性も否定できないと思います。とは言え、こんなトリックを現実世界を舞台にして実現させても浮世離れしたものになるのは間違いないでしょうし、だったら始めから幻想的な世界を舞台にしてしまえ、と作者が考えたのだとしても、それはそれで頷けます(実際、近い時期に発表された『アルファベット荘殺人事件』よりは本書の方が格段に面白いと思います)。あるいは単に書きたかったというだけかもしれませんが(解説によればどうもそんな感じらしいですね)。私が思うに、よく2時間ドラマでありがちな断崖絶壁での探偵と犯人の対峙というベタなシーンがありますけど、あれをベタに思われないようにやりたかったんじゃないかと邪推しているのですがどうでしょうか? それだと、本書の終末的な世界観の設定にもすごく納得できるのですが(笑)。はたまた、セカイ系といわれるフレームに対してアンチテーゼを提示してみたくなったのかも分かりません。その辺のことは想像の域を出ないのですが、私としては読んでいるときよりも読み終わった後にいろいろと考えることができるという意味で楽しい物語でした。
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