『鏡の国のアリス』7月4日問題とチェスタトン『マンアライヴ』

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫)

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫)

 北山猛邦『『アリス・ミラー城』殺人事件』ルイス・キャロル鏡の国のアリス』をモチーフとしたミステリですが、そのなかで『鏡の国のアリス』にまつわる次のような問題が紹介されています。

「さて、ご存知の方もいるかもしれませんが、『不思議の国のアリス』が生まれた一八六二年七月四日については、幻想的なエピソードがあるのですよ」
「幻想的だと?」
「ええ。ロンドン気象台に残されている古い記録では、その日のオックスフォードの天気は『涼しく雨模様』となってるのです。ところが、『不思議の国のアリス』冒頭に掲げられた詩にも表されているように、ルイス・キャロルは七月四日の午後を『金色の午後』と呼び『素晴らしい天候のもと』で物語をせがまれたという記述をしています。またこの日を振り返った『アリス・リデル』本人が残した記述では、『真夏の太陽がじりじりと照りつける』とあります」
(『『アリス・ミラー城』殺人事件』p81〜82より)

 実際の気象と作中のそれとの齟齬。こうした問題については文学者から気象学者まで様々な意見が出されているらしく、私などは「ふ〜ん」などと感心させられるばかりなのですが、この7月4日問題を読んでふと思いついたのがG・K・チェスタトン『マンアライヴ』(つずみ綾・訳/論創社)です。
 『マンアライヴ』に次のような記述があります。

 風がつんざくような長い悲鳴をあげて天空を端から端に引き裂いた。そして突然の豪雨が、一同の眼をくらますばかりの暴風雨をもたらした。
(中略)
 轟々たる風にもまれて、大木は背の低いアザミのように前後に激しく揺れ動き、満ち満ちた陽光の中でかがり火のごとく輝いた。
(『マンアライヴ』p17〜18より)

 中略しましたが、風で帽子が飛ばされる描写があったり登場人物のセリフがあったりするだけで、別に場面転換や時間の短縮が行なわれてるわけではありません。雨なのか晴れなのかよく分からないこのシーンですが、『鏡の国のアリス』の7月4日問題を意識して描かれたものだとすれば実に納得がいくではないですか。
 ……と思いつきの解釈で納得するわけには実は参りません。というのも、この『マンアライヴ』、その翻訳の酷さ故に翻訳ミステリ界で少しばかり有名になってしまったという困った一品なのです。なので引用の場面についても訳文を問題視しないわけにはいきません。
 というわけで、原文を探してみましたところ、こちらのブログによりますと突然の豪雨が、一同の眼をくらますばかりの暴風雨をもたらした。の原文は、

The eyes of all the men were blinded by the invisible blast, as by a strange, clear cataract of transparency rushing between them and all objects about them.

とのことです。で、これをエキサイト翻訳にかけますと*1

すべての男性の目は目に見えない爆破で目をくらまされました、それらに関する彼らとすべての物の間で突進する透明の奇妙で、明確な白内障のように。

となります。ここでblast=爆破はないだろう、とは思いますが、直前に強風の様子が描かれていて、おまけにinvisible=目に見えない、ということですから、blast=暴風、でよいでしょう。つまり、場面としては雨は降ってないのです(笑)。ただ、作者であるチェスタトンの思惑としては、『鏡の国のアリス』的な空間に読者をいざなうために、物語の始めにこうした描写を用いたのでは? ということはいえる……のかもしれませんね(?)*2

マンアライヴ (論創海外ミステリ)

マンアライヴ (論創海外ミステリ)

*1:英語力に自信のある方募集(笑)。

*2:本当のところは、当該一文だけでなくその周辺の原文も読まなくては何ともいえませんのであしからず(トホホ)。