『純情FBA!』(野島けんじ/角川スニーカー文庫)

純情FBA! (角川スニーカー文庫)

純情FBA! (角川スニーカー文庫)


絶版本を投票で復刊!

輝く未来を勝ちとるために
 本書『純情FBA!』と伊坂幸太郎アヒルと鴨のコインロッカー』の両方を読まれたことのある方なら激しく頷いてもらえると思いますが、両者はどうしても比較して論じたくなります。ファンシーなぬいぐるみ軍団がやくざの組事務所に乗り込むお話とボブ・ディランを口ずさみながら本屋に泥棒に入るお話のどこが似ているのかと思われるかもしれません。しかし、両者はその構成がとても類似しているのです。現在と過去の出来事が交互に語られるという形式面での共通性もさることながら、物語内における主人公の立ち位置という内容面での共通性が際立っています。この2冊、共に2003年の刊行というから驚きです(『アヒルと鴨』は初刊のソフトカバー版を基準)。シンクロニシティってホントにあるんですね(笑)。
 片思いの女の子に告白するためにラブレターをしたためて学校に遅刻したら体育館で全校生徒1000人が死んでいて(仮死状態ですが)、その中で好きな女の子だけが幽霊になって浮かんでいた、というとんでもない事態に直面する「いま、このとき」の主人公は普通の高校生、光岳慎(みつたけ・しん)です。彼がこの物語の主人公であることは間違いありません。間違いないのですが、10年前から「いま、このとき」に向かって語られるもうひとつの物語を基準にしたときには、彼の立ち位置は脇役としてのそれになります。

 その奇妙な励ましに、少しだけ納得した。僕は、自分こそが主人公で、今こうしている「現在」こそが世界の真ん中だと思い込んでいた。けれど、正確には違うかもしれない。河崎たちが体験した「二年前」こそが正式な物語なのだ。主役は僕ではなく、彼ら三人だ。
(『アヒルと鴨のコインロッカー』文庫版p347より)

 主人公補正をもってしても関わることのできない過去からの、ぬいぐるみ店を営む二人の女性の物語(もっと言うと、その二人すら主人公とは言えない物語)。月並みですが、人は誰しも人生という名の物語の主人公である、と言います。そうした過去の物語を基準にすると、光岳慎は図らずもその中に途中参加させられたかのような存在、つまり異物です。光岳慎にとっての本書の物語は、総じて表紙カバー絵から受ける印象通りのものです。その一方で、二人の女性の視点からの物語は苛烈で陰惨で過酷なものです。本来なら交わるはずのない物語が「いま、このとき」にちょっとだけ交わって通り過ぎていきます。始まりの始まりでもあり、終わりの始まりでもある「いま、このとき」。光岳慎サイドから見た物語は、へそ曲がりな読み方をしますと割と平凡なお話です。だけれども、平凡だからと言ってそれに価値がないなんてことはありません。当たり前のことの当たり前な価値。とても大事だし勇気を与えてくれる物語です。それを教えてくれるのが、もうひとつの当たり前じゃない過去の物語です。一瞬だけ交わって、しかし決して重なり合わずに別々に未来へと紡がれていく物語。優しさや厳しさ、寂寥感といった様々な余韻の残る本書の結末はとても印象的です。
 ということで、私は本書をとても高く評価しています。シリーズものではない一冊完結もののライトノベルの中ではかなりの傑作だと思ってます。思ってますが、本書の感想とかをググってみると(現時点では)軒並み低評価でちょっとションボリです。おかしいなぁ??? その一方で、同じような構成の『アヒルと鴨』が映画化までされるほどに高評価なのが不思議といいますか、ちょっと考えさせられます。
 確かに、同じような構成ながらミステリ的な完成度としては当然ながら『アヒルと鴨』の方が上ですし、真相が明らかになったときの衝撃には特筆すべきものがあります。ですが、だからといって本書が『アヒルと鴨』に劣るとは思いません。本書には本書のよさがあります。ネタバレは差し控えたいので詳細は語れないのですが、現在と過去のふたつの物語の、「純情」という括りでの対照的な結末は鮮烈です。
 ラノベ読みとミステリ読みとでは読み方に違いがあるのでしょうか? いや、多分そんなのはなくて、単に本書の知名度が低くて本来なされるべき評価がされていないだけだと思います。現在出版社品切れで入手困難な状況ではありますが、何かの縁で手に取る機会がありましたら、ぜひぜひ読んでみて欲しい一冊です。
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アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

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