『”文学少女”と慟哭の巡礼者』(野村美月/ファミ通文庫)

“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫)

“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫)

※以下、既読者限定でお願いします。また、元ネタになってる本も読んでて当たり前というスタンスですので、そちらも予めご了承下さい。
 ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。
 というわけで、今回の元ネタは宮沢賢治銀河鉄道の夜』です。これまでと違って短めの童話が元ネタになってます。童話というのは子どもの頃に読むのと大人になってからとでは受ける印象が違います。さらに『銀河鉄道の夜』は作中でも言われているように未定稿の作品だけに決定的な読み方というのが存在しないため、その解釈には必然的に多様性が生まれます。ジョバンニとカムパネルラの”さいわい”を巡る銀河鉄道の旅は、これま積み上げてきた『人間失格』『嵐が丘』『友情』『オペラ座の怪人』といったテーマを解消させる題材として相応しいネタ本だと言えるでしょう。
 今まで断片的にしか語られてこなかった心葉と美羽の物語の真相がつい明らかになるわけですが、本書の展開は素晴らしいの一言に尽きます。前巻まで読んで抱いていた期待以上のものを読ませていただきました。心に抱えている弱さと向き合うための強さ。結局はただそれだけのけれん味のない物語ですが、そこで語られる言葉のひとつひとつが想像力をかき立てます。正の方向にも負の方向にも。これまで心葉視点で美羽との綺麗な思い出ばかり語られてきて、だけど裏では少しずつ美羽の黒さも知らされてきた読者としては堪らなくも悲しく切ない物語でした。
 本書の登場人物は、井上心葉、天野遠子、琴吹ななせ、芥川一詩、桜井流人、竹田千愛、そして朝倉美羽。これまで描かれてきた人物だけで語られる本書の物語は、本シリーズの山場と呼ぶに相応しい濃密な展開を見せます。登場人物のキャラも立ち位置も十分に固まっているのでそこに動きはないのですが、その代わり、人物間の心情・愛憎のやり取りは存分に描かれています。こうしたやり取りは青臭くて過剰で、正直言って素の私だったら引いちゃってると思います。しかし、それを読まされてしまうのが”文学少女”の魔力です。文学少女は作中、とても美味しそうに本を読みます。その姿は本読みとして共感するものがあります。そんな姿をみせられてしまうと、読者としても目の前にある物語を読み尽くさずに入られません。例えそれがどんなに苦々しいものであっても。ひとつには、そうしたキャラの過剰性の裏にネタ本の存在があるからでしょう。すべてのフィクションは現実を過剰にしたものです。いや、ノンフィクションすら言葉になってしまった時点で現実を断片的にしか語り得ないフィクションに過ぎません。だからこそ、そこに思考と想像とが働く余地が生まれて、それによって読者は引き込まれてしまうのです。
 本書の読みどころとしてまず挙げなくてはならないのは、これまで名前だけの存在だった朝倉美羽でしょう。

「あたしはコノハといると、もやもやした汚いものが胸の奥に溜まっていって、コノハが誰かと話しているだけで、皮膚がぴりぴりして、頭が熱くなって、そいつが死んじゃえばいいって思うのにっっっ! コノハが女の子の顔をちょっと見ただけで、その子の顔に火をつけてやりたくなるのにっ! コノハなんかのせいで、そうやって真っ黒に汚れてゆくのにっっっ! どうして、コノハは白くて綺麗なままなのっ!」
(本書p269〜270より)

 ああ。ヤンデレとはこういうのを言うのですね(参考:Wikipedia)。しかし、こうした美羽の闇の部分を作り出してしまったのは間違いなく心葉です。幼い頃、美羽が周囲に撃ちまくっていた砂糖菓子の弾丸を、あろうことか心葉はそれを受け取ってキャッチボールしてしまいました。美羽にとってそれは奇跡だったに違いないのですが、一度かぶってしまった砂糖菓子の仮面を取ることができず、装飾に装飾を重ねてしまいます。その一方で胸の奥には澱が溜まっていきます。心葉は心葉で美羽の作られた美しい側面しか見えず、その裏に闇があったことを、美羽の飛び降りという最悪の形で知ることになります。そして心葉は、物事の表面に隠された真実を知ることに恐れを抱くようになります。真実を見ようとしない生き方。心葉はそれを自分自身の心を守るためだと思っていました。しかし、そうした生き方は実は相手をものすごく傷付けてしまいます。だから、自分も相手も苦しいかもしれないけど、真実を知らなければならないときがある。それが本書がこれまでミステリーとして、しかも、伝えたくないけど伝えたいという二律背反する動機を基調とする暗号ミステリーとして描かれてきた一番の理由です。すべてがこの時のためだったからこそ、本書で文学少女が開陳する推理は、今までで一番シンプルです。すべては目の前にあったのですから(フェアとかアンフェアとかは宇宙の彼方へ投げ捨てて下さい)。まさに構成力の勝利です。そうした真実をひっぺがす役割としてダークホース的に用意されていたのが竹田さんです。いや、放置されていた『人間失格』のテーマをどうするのかと思っていたらこんな爆弾としてとって置いたのですね。御見それしました。
 それでも、本書で語られる真実は心葉にとってとてもつらいものでした。心の弱さというのはもちろん弱点には違いないのですが、だけどときにはそれが強さにもなるし心を縛る鎖にもなるし恐怖の対象にもなります。そんな心の動きをサイコホラーになる(二歩くらい)手前まで描いているのがすごいです(笑)。そうしたもに立ち向かわせてくれて、断ち切るキッカケを作ってくれたのは間違いなく琴吹さんです。いやあ、前回でストップ高だと思ってた琴吹株ですが、本書でさらに上昇しました(笑)。そうした琴吹さんの健気な頑張りは、4巻で心葉が琴吹さんのためにとった行動の裏返しです。カバーが4巻と微妙に対(本書p383より)というのはそういう意味があるからでしょう。本書では憎しみと妬みと疑惑と裏切りの描かれる割合が多いだけに、こうした信頼に裏付けされた行動はとても映えるし印象に残ります。美羽vs琴吹は本書の一番の華です(←悪趣味?)。
 その他、流人くんは『嵐が丘』的な過去の妄執とそれを吹っ切る象徴として、芥川くんは3巻の『友情』で保留されていた結末をつけるためのキャラとして、それぞれ役割を果たしました。もっとも、芥川くんは作者があとがきで述べているように少々不憫な扱いでしたが(笑)。番外編に期待しましょう。
 朝倉美羽の憎しみは第一に心葉に向けられていて、それは心葉と周囲の仲間(琴吹さんや芥川くん)だけでも解決できたでしょう。しかし、その憎しみは物語を書けなくなってしまった自分自身にも向けられてしまっています。4巻で、歌えなくなってしまった毬谷はその才能に嫉妬して夕歌を殺してしまいます。同じ立場にある美羽に対し、文学少女は、物語に自分から会いに行く道を示します。盗むのでもなく、否定するのでもなく。ここに、”文学少女”の真価があります。つまり、物語の存在を肯定するための文学少女です。だからきっと、本シリーズの最後の最後は、遠子先輩が心葉に物語を書く動機を与える役割を果たして終わるはずです。そんな私的結末の予想図は一応頭の中にありますが、それを書くのは無粋でしょうからやめます。続きが待ち遠しいです。


 以下、本編と関係あるのかないのか分からない蛇足めいた雑感を少々。

「ほ……本当だよ。遠子先輩が教えてくれたんだよ。彼氏は白いマフラーが似合う素敵な人だって」
(3巻p78より)

 ところで、心葉が遠子先輩に渡したのはまっ白なマフラーでしたよね?(ニヤリ)
 話は変わって、本書内において、B(=ブルカニロ博士)の正体は竹田千愛であることが明らかにされます。しかし、彼は物語の最後に登場し、ジョバンニの旅が自分の実験であったことを語り、ジョバンニに未来への道を示すの。(本書p323より)という一文が示すブルカニロ博士の正体に真に合致するのは、”文学少女”のBでしょう。本書の最後で遠子先輩が作家としての心葉を予め知っていたことが示唆されていますが、果たして真相は? 続きが異様に気になります。

人のものを盗ろうとしたら呪われる
(4巻p294より)

 またまた話は変わって、本書の冒頭で、夢オチという形ではありますがクトゥルフ神話がネタとして用いられています。これは一見すると最初はコミカルなタッチでスタートするという本シリーズのスタイルを踏襲しているたけのように見えますが、本シリーズが井上心葉という作家を主人公に”書く”という行為に対し非常に神経質に接していること、本シリーズは元ネタの存在に立脚してストーリーが作られていること、さらに美羽が心葉にお話を語るために途中から宮沢賢治のものを盗用していたことが明らかになる本書の展開を考えますと、作者として触れずにはいられなかった題材であったのは明らかだと考えます。
 心葉は美羽に自分の気持ちを伝えるために『青空に似ている』を書きました。それは自分と美羽とをモデルにした一種の私小説です。しかしそれは結果として美羽と、そして自分自身をも深く傷付けることになってしまいました。実在の人物をモデルに小説を書くと、このように現実との間に何らかの軋轢を生むことは覚悟しなければなりません。では、私小説ではないフィクションを描けばよいのでは。もちろんそうなのですが、人が人として成長していくために既存のものを吸収していくことが不可欠なように、作品の成立もまた過去の様々の影響から無縁ではいられません。過去があって現在があるのです。純粋にオリジナルな創作というものは厳密には存在し得ません。”文学少女”シリーズはそうした影響を包み隠さず全面に押し出して、その作品のイメージをキャラやプロットに投影して独自のストーリーを作り出すことに成功しています。小説読みには堪らない趣向です。
 クトゥルフ神話(参考:Wikipedia)も”文学少女”シリーズと似たような思想で発展していきました。確かに創始者ラヴクラフトで、そのアイデアはとても独創的なものだったのですが(ただし土着神話とかのモチーフあり)、クトゥルフ神話がこれほどまでに広く知れ渡るようになったのは、その世界観を他の多くの作家たちが共有してそれぞれに作品を書き、またそれをラヴクラフトが禁止しなかったどころかむしろ奨励したからこそでしょう。おかしな話ですが、パクっていいよと言われると逆にパクリづらいらしく(笑)、実際クトゥルフ神話と言われる作品群には何となくの共通項はあるものの、それぞれの作家独自の作品に仕上がっているから不思議です。
 こうした行為は、本書内において明らかになった美羽の盗作行為とは似て非なるものです。”書く”という行為に苦悩している井上心葉を主人公としているだけに、作者としても元ネタをモチーフにする行為と盗作行為との違いについてもっとハッキリ触れたいという思いはあったのだと思います。しかし、作中の美羽の行為は非難されなけれなならないものでしょうか? 普通だったらそうでもないでしょう。「実は宮沢賢治だったんだ♪」で済む話です。美羽が作家を志していて心葉が作家だからこその悲劇なのです。ですから、作中でこのことに触れちゃうのは論点がすり変わっちゃうので上手くないのですが、無視することもできなくて、そうした葛藤が冒頭のお約束の漫才シーンでのクトゥルフ神話の採用につながったのではないか、と邪推しております(邪神だけに)。このテーマは、ひょっとしたら番外編とかで消化されるかもしれませんけどね。とにもかくにも続きがとても楽しみなシリーズです。

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銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫 緑76-3)

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