『ピュタゴラスの旅』(酒見賢一/集英社文庫)

ピュタゴラスの旅 (集英社文庫)

ピュタゴラスの旅 (集英社文庫)


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 以前、柳広司『饗宴 ソクラテス最後の事件(プチ書評)』を読んでピュタゴラスに興味が沸いたので、タイトルだけ見て衝動買いして読んでみました。面白かったです。本書は酒見賢一初の短編集で、5つの短編が収録されています。
 表題作にしてお目当ての『ピュタゴラスの旅』は、哲学者として、さらにはその本質として旅人であるピュタゴラス(参考:Wikipedia)という人物が、弟子のテュウモスとの関係から浮かび上がってきます。三平方の定理で知られるピュタゴラスは数学の祖として知られていますが、彼は数理の探求にとどまらずクロトンの地に教団を結び魂の浄化(カタルシス)を求めます。そんな彼ですが教団を作りながらその地に定住することはせず、ふらっと旅に出てしまいます。そのとき、彼のお供をするのが弟子のテュウモスです、テュウモスは才能ある美貌の少年で、ピュタゴラスは彼を心身共に深く愛しました(腐女子の方が喜びそうなお話です・笑)。テュウモスはピュタゴラスを深く敬愛していますが、その敬意は主として師の数理の才に向けられていました。ですから、医者でもないピュタゴラスが旅先で病に苦しむ人々を救おうとする行動に反感を抱いていました。数理こそ世界を正確に把握するためのものであると主張するテュウモスに対し、ピュタゴラスは問います。「世界を正確に把握しただけで何ができるというのか」と。短い話なのですが、象牙の塔の頂点に立つだけの才能がありながら世俗の中を懸命に生きようとするピュタゴラスの人生観が滲み出ている傑作だと思います。オウム真理教が社会の関心事だったころ、高学歴な理系畑の人間がなぜあんな怪しげな教団の信者になるのか疑問に思ったのですが、この話を読んで少し分かった気がしました。少しだけですが。
 『エピクテトス』はローマ時代の哲学者エピクテトス(参考:Wikipedia)を描いたやはりギリシャものです。同時代の人間に皇帝ネロがいます。現在ヤングアニマルで連載されている技来静也『拳闘暗黒伝CESTVS セスタス』に近い時代のお話なので、興味のある方はさらっと読まれてみてもよいかと思います(笑)。奴隷として生まれながら哲学者として名を残したエピクテトス。奴隷でありながら精神としての自由と、そしてその限界にぶち当たってしまったストア派としての彼の行き方が描かれている好編です(断じて”誘い受け”について書かれたお話ではありませんことよ)。
 あとの3編はギリシアものではありません。
 『そしてすべて目に見えないもの』は、ミステリのお約束をパロディーにしたメタ・ミステリですが、はっきり言って駄作です。いや、言いたいことは分かりますが、どうせなら東野圭吾『名探偵の掟(書評)』くらいはやってもらわないと困ります。
 『虐待者たち』は、猫を虐待したものに対して復讐するお話です。現在は動物愛護法が制定されていますので、作中とは警察の対応も異なるでしょうが、そこはこの物語の主眼ではありません(笑)。現実と幻想とメルヘンとの関係を描いた、読後に不安な気持ちにさせられる奇妙なお話です。
 『籤引き』は、個人的に本短編集の白眉だと思います。未開の村の領事としての仕事を命じられたメイクハムは、その村の奇妙な習慣を目の当たりにして怒りに駆られます。何者かが鶏を盗むという事件が発生したのですが、その村では何と籤引きで犯人と量刑を決定するというのです。その鶏泥棒事件では、ホントにやったのかどうか知れない人物が籤引きによって死刑にされました。メイクハムはその野蛮な習慣を断固として否定しますが……。確かにとんでもない習慣ですが、その一方で、武力を持って他国を植民地として支配しておきながら文明の名の下に自国の習慣を押し付けようとする大国の姿が実にアイロニカルに描かれていて、残酷ですが面白くて考えさせられます。
 ギリシアものとしての薀蓄も楽しめれば奇想も奇妙な味も楽しめるバラエティに富んだ短編集です。オススメです。