ラノベ論とジャンル論の違い

http://d.hatena.ne.jp/REV/20070824/p2
 をを。私の記事も紹介されちゃってます(汗)。こうしたまとめは考えを整理する上でとても便利ですね。これらの記事の中で私が一番興味をひかれたのがこちらです。
未定義なのはライトノベルだけか? - 雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜
 定義論はラノベに限った話じゃない、とか、ラノベはジャンルじゃなくてカテゴリだとか、そこで書かれている内容には概ね同意です。ただ、私は基本的にはミステリ読みです(え? とか言うな)。そうした立場から言わせてもらいますと、ミステリのジャンル論*1ラノベ論とは、少々異なる点があると思います。
 昨年、ミステリ界では『容疑者Xの献身』論争なるものがありました。個人的にはうんざりですが、それでも論争自体は決して無意味なものではなかったと思います。なぜなら、ある作品を巡って定義論が始まると、当然ながらその論争に参加するためにはその作品を読まねばなりません。ですから、まず売り上げが期待できます。さらに、それを読んだ上での作品論が展開されるので作品の解釈がとても豊かなものになります。
 一方、ラノベ論の場合です。今回は銀英伝が題材になってるようですが、そもそも”読んでない”というのが発端になってることからも分かるように、読んでない人も定義論に参加できちゃう(?)のですね。ラノベの要素としてレーベルという外見が関係しているからこその特殊性ゆえの現象でしょう(もっとも、ミステリ界にも神通力の持ち主が稀にいますが)。読んでない人も参加できるような感じで定義論が盛り上がると、当然ながら売り上げにもつながらなければ作品論にも発展はありません。読んでないのに、「それはラノベじゃない」って言えちゃう(?)のです。これはおよそジャンル論では考えられないことです。まあ、別にその作品を読もうが読むまいがその人の自由です。ただ、ラノベ読みの人に見られがちな現象として、私はラノベ読みである→その作品はラノベではない→ゆえに私はその作品を読まない、という意味不明で理解困難な三段論法があるように思います(なければ良いのですが)。こうした人にある本を薦めようとする場合にはその本をラノベ認定する必要が生じるわけです。しかし、それならラノベの定義について語るよりはその作品の魅力を語ることに言葉を費やしたいです。
 てなわけで、定義論は何もラノベに限ったことではないですが、不毛度はラノベ論の方が遙かに上だと思います。ましてや、このような議論が「ライトノベルかくあるべし」といったような枠を生み出してしまっているのだとしたら、その不毛度たるや計り知れません。こうしたラノベ論はあくまで(一)読者の都合なので、作家側には計画的なご利用を強くオススメします(←何様?)。いや、神学論争もそれはそれで面白いのは確かですから、まさにこの記事を書いてるときのような暇なときには持って来いですけどね(笑)。
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*1:ミステリの場合は江戸川乱歩の『探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である』という定義でだいたいは同意を得てますが、それでも境界線の問題は常にあります。