落語とライトノベル

 端的に言って、落語はひとり芝居である。演者は根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化する。根多に登場する人物たちは、おたがいにぼけたり、つっこんだり、だましたり、ひっかけたりし合っている。そうしたことが成立するには、おたがいがおたがいの意図を知らない複数の他者としてその人物たちがそこに現れなけれなならない。落語が生き生きと観客に体験されるためには、この他者性を演者が徹底的に維持することが必要である。落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する。私の見るところ、優れた落語家のパフォーマンスには、この他者性の意地による生きた対話の運動の心地よさが不可欠である。それはある種のリアリティを私たちに供給し、そのリアリティの手ごたえの背景でくすぐりやギャグがきまるのである。
 おそらく落語という話芸のユニークさは、こうした分裂のあり方にある。もっと言えば、そうした分裂を演じている落語家を見る楽しみが、落語というものを観る喜びの中核にあるのだと思う。そして、人間が本質的に分裂していることこそ、精神分析の基本的想定である。意識と無意識でもいい、自我と超自我でもいい、精神病部分と非精神病部分でもいい、本当の自己と偽りの自己でもいい、自己のなかに自律的に作動する複数の自己があって、そららの対話と交流のなかにひとまとまりの「私」というある種の錯覚が生成される。それが精神分析の基本的な人間理解のひとつである。落語を観る観客はそうした自分自身の本来的な分裂を、生き生きとした形で外から眺めて楽しむことができるのである。分裂しながらも、ひとりの落語家として生きている人間を見ることに、何か希望のようなものを体験するのである。
「月刊みすず」2009年4月号所収、藤山直樹『落語と精神分析 2 孤独と分裂――落語家の仕事、分析家の仕事』p30〜31より

 「月刊みすず」で精神分析家の藤山直樹が落語について論じている連載があるのですが、上記の文章を読んでライトノベルにも通じるものがあるなぁと思ったので紹介してみました。
 ライトノベルとは何か?といわれても特にこれといった定義を挙げることはできませんが(汗)*1、ときにキャラクター小説とされたり、あるいは特徴として挙げられることままがあります*2。なので、定義として機能しているとまではいえなくても、キャラクターの個性や活躍、あるいはキャラクター同士の会話や関係性といったものがライトノベルの大きな魅力のひとつであるということはいえると思います。ライトノベルに付き物であるイラストも、そうしたキャラクターの輪郭をはっきりさせるための役割を担っているものといえます。
 もうひとつ、ライトノベルに付き物なものとして、作者あとがきを挙げることができます。作者は余計なことなど言わずに作品だけを読んでもらえばいいのだからあとがきなど不要だ、と言われることもしばしばだったりしますが、それでも大抵のライトノベルにはあとがきが付いています。
 それは何故か?と考えたときに、上記の文章における落語についての言及がライトノベルにもそのまま当てはまるのではないかと。
 つまり、ライトノベル読者は自分自身の本来的な分裂を生き生きとした形で楽しむためにキャラクター小説であることを求め、その一方で、そのように分裂しながらもひとりの人間として確立しているのだということを作者としては表明するため、読者としては確認するために、あとがきというものは存在しているのではないかと思うのです。
 そうしたことは、おそらくはライトノベルのあとがきに限ったことではなくて、作者のサイン本を求めたりサイン会に参加する心理や、あるいは、文学における作品論と作家論の関係にも通じるものがあるのではないか、とも思ったりしました。
 あと、『ライトノベル「超」入門』(新城カズマソフトバンク新書)p227以下で触れられているライトノベルの特徴としてライトノベルは会話文ばかり、というのがあります。もっとも、同書で併せて述べられているように、そもそもライトノベルが非ライトノベルに比べて本当に会話文ばかりなのかという点が疑問ではあるのですが、そうした地の文が少なくて会話文ばかりという小説は、極めて落語に近い小説だといえるでしょう。なぜなら、落語も基本的には会話文ばかりで地の文はほとんどないからです*3
 そんなわけで、落語とライトノベルとの関係についていろいろ考えると面白いかもしれないなぁと思ったりしました。
【関連】
ライトノベルのあとがきと私小説についての雑文 - 三軒茶屋 別館
落語と近代文学とライトノベルと: パソコンでマンガ作成

*1:参考:ライトノベルの定義を法律の学説っぽくまとめてみる

*2:例えば、『キャラクター小説の作り方』(大塚英志/角川文庫)や『ライトノベル「超」入門』(新城カズマソフトバンク新書)など。

*3:例えば『落語百選』(麻生芳伸・編/ちくま文庫)など落語がテキストに起こされたものを読むと顕著です。