『禍家』(三津田信三/光文社文庫)

禍家 (光文社文庫)

禍家 (光文社文庫)

「でもね。何か普通でない、とても異常なことが起こってるんだ――っていうのは、貢太郎君を見ていて間違いないと感じたの」
「けど、僕の見たものは……」
「ほら、そういうものって、見る人によっては違って映るかもしれないでしょ。だから、信じないというよりも、あまり目にしたものにこだわらない方がいいような気がして――」
(本書p161〜162より)

 本格ミステリとホラーを融合させた作品の名手として注目度の高い著者ですが、この度、初の文庫本の刊行ということで、恥ずかしながら初めて読んでみました。書き下ろしということなので、世評の高い『厭魅の如き憑くもの』や『首無の如き祟るもの』などと比べるとおそらく格の落ちる作品ということになると思うのですが、それにしては面白かったです。
 幽霊よりも生きてる人間の方が怖い、とはよく言われることですが、それは大人の意見というもので、子供にしてみればやはり幽霊とかお化けとかはとても恐ろしいものです。本書ではまず、幽霊だかお化けだか分かりませんがそうした未知のものへの恐怖とそれに立ち向かう心理とが丁寧に描写されています。そして、その恐怖を理知と勇気によって解明し克服することで、本格ミステリとしてのカタルシスへと繋がっていきます。そうしておきながら、理性的な存在である人間の恐ろしさ・理性から生まれる狂気というものを主張することで、ホラー小説的にも物語は一つ上の段階へとステップアップします。そうした恐怖の対象の変化は、主人公の少年の心の変化・成長と一体のものとして構成されています。また、ホラー的な過剰な表現の中にミステリ的な伏線が巧みに隠されています。
 まさに、『本格ミステリとホラーの融合』という前評判どおり・期待通りの作品です。あまりに期待通り過ぎて驚きには欠けるのですが、逆にそれが著者に対して、プロットや文章表現の確かさといったものへの信頼へと繋がります。ぜひ、他の作品も読んでみたいと思いました。早く文庫化されないかしら(コラコラ)。
 巻末の解説で述べられている、探偵役を推理へと駆り立てる最強の動機は”恐怖”ではないか(p322)というのは確かにその通りだと思います。職業的義務感や好奇心などで動く探偵役が昨今は多いですが、そうした探偵はときに謎解き・真相を明らかにすることへの懐疑を抱き、ついには探偵としての自らの存在意義に疑問を感じてしまうことすらあります。しかし、”恐怖”を前にしてはそんなことを言ってはいられません。心の平穏と、さらには命を賭けた、理知による恐怖との戦い。そこでは、推理することはまさに生きることなのです。このような、恐怖を動機とした本格ミステリは最近ではおそらく少数派ではないかと思うのですが、それというのも、恐怖という情動的なものと推理という理性的なものとを両立させることが極めて困難だからと推察されます。だからこそ、そうしたテーマに挑戦し、次々と傑作をものにしている著者に対して今後も目が離せません。……などと、本書一冊しか読んでいないくせに偉そうなことを言ってしまいホントすいません(汗)。
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