『仔羊の巣』(坂木司/創元推理文庫)

 鳥井と坂木の関係って、『大きく振りかぶって』の三橋と阿部に似てませんか? 何てこと言うと両方のファンから怒られそうですが(笑)、そんなこと考えたのも、作中にホモフォビア(同性愛恐怖症)は男性に多くて女性や子供にはほとんどない、ってな記述があったからです。詳しいことは心理学の本を読んでくれ、ってことですが、801が女性(腐女子)の文化なのもそうしたことの証左なのかなと思ったりしました。
 ちなみに、覆面作家としてデビューした坂木司ですが、作中とは違って女性らしいですね(ソースはWikipedia)。もっとも、意外でも何でもありませんが。
 それはさておき、『なんで自分と違うことをするんだろう』『わけがわからない』『何を考えてるかわからなくて、怖い』(p240)というのは本シリーズの基本構造ではあります。支配性(男性)が被支配性(女性)に対して抱く恐怖。その恐怖を理解と共生に変えていくのが本シリーズの特徴です。実際、『青空の卵』と本書『仔羊の巣』まで、謎の対象となる行動をしている人物(=犯人役)は女性か子供です。『秋の足音』は? と思われるでしょうが、あれは盲人とゲイなので、ダイレクトに被支配側の存在です。本シリーズの物語は、そうした被支配側の支配側に対しての反逆とも読めないことはないです。
 そして、そうした理解と共生へのアプローチのきっかけ・コミュニケーションの契機として、ミステリ的な”謎”が本シリーズでは機能しています。もっとも、「誰にも資格はない。高尾麻紀が不幸になる時は放っておいて、その不幸が呼び起こしたトラブルが我が身に及んだ時になって初めて彼女の存在に気付く。そんな人間に、彼女の人生や幸せを論じる資格はないんだよ」『フェニックスの微笑(書評)』p254より)といった反発は受けます。しかし、そうした不幸は周囲にも不幸をもたらします。そして、不幸に敏感な存在である坂木はそれに傷付くことで論じる(擬似的な)資格を得ますし、一方、傲慢で粗暴な鳥井はそんな資格など意に介することもなく論じていきます。しかし、謎から恐怖を取り払い、理解されて生きていくことを決意させるというそうした構造は、やがて坂木と鳥井の二人をも取り込んでいきます。推理の対象者に強いていることを鳥井自身が行えるのか? そして坂木は? ミステリ分は薄れていきますが、それに反比例する形で二人の内面がクローズアップされていきます。その答えは最終巻である長編『動物園の鳥』で語られることになります。
【関連】
プチ書評 『青空の卵』
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仔羊の巣 (創元推理文庫)

仔羊の巣 (創元推理文庫)