『オカルトリック』(大間九郎/このライトノベルがすごい! 文庫)

オカルトリック (このライトノベルがすごい! 文庫)

オカルトリック (このライトノベルがすごい! 文庫)

 玉藻、オカルトはね、時間と共に成長するんだ。
 真実の記憶は、時間と共に劣化し、砂の城のように崩れていく。崩れ空いたスペースにオカルトが染み込み恐怖を増殖させる。
 真実は時間と共に死んでいくが、恐怖は時間と共に生命力を増す。

(本書p111より)

 タイトル的には『丘ルトロジック』(耳目口司/角川スニーカー文庫)を想起される方もおられるかもしれませんが、ストーリー的にはかなり異なります。
 オカルトとは何か? と思ってググってみれば、そこには迂闊なことをいえばあっという間に墓穴どころか底の見えない深淵に飲み込まれてしまいそうな危険が垣間見えるわけですが(汗)、本書におけるオカルトの扱いについて考えてみますと、目次を見れば分かるとおり、第一話「パイロキネシス」第二話「狐憑き」第三話「チュパカブラとあるように、いわゆる超能力霊的現象やUMA(未確認動物 - Wikipedia)や超自然的現象による事件が一義的には「オカルト」とされていることが分かります。
 とはいえ、自然現象と超自然現象の区別は実はそんなに自明なものでもなくて、例えば第二話「狐憑き」はオカルト探偵の助手である「玉藻」の正体とオカルト探偵との関係が明らかとなるお話ですが、作中での「狐」が生まれた原因そのものは決して超自然的なものではありません。言うなれば、「真から出た嘘から出た真」とでもいうべき現象です。
 そうした裏の裏は真、といった論理の倒錯こそが本書全体の通奏低音だといえます。あとがきにて”鬼畜系日常ラブコメ”と本書について著者が述べていますが、そうした”鬼畜系”という偽悪的態度を引っぺがせば、そこには愛と正義についての真摯な態度が見て取れます。複雑なようで単純で、単純なようで複雑な物語は、自分の気持ちに素直になれない若者を本来的なターゲットとしているライトノベルに相応しいものだと思います。その意味で、「このライトノベルがすごい! 文庫」というレーベル名に相応しい物語だといえるでしょう。
 オカルト探偵が本来扱うべき超自然現象かそれとも自然現象かは実際に捜査してみなくては分からなくて、仮に単なる自然的現象を原因とする事件だとしても探偵として依頼を受けた以上は解決しなくてはなりません。その意味でも両者の区別は曖昧です。オカルトとは、そんあ両者の中間的立ち位置であるともいえるでしょう。
 オカルト×ミステリである本書ですが、オカルトという超自然現象を自然現象に単純に落とし込むだけのお話ではありません。落とし込めるものは落とし込みますが、それはそれとして存在するものもあります。だとすれば、本書における探偵とはいったい何をするものかといえば、それは「解決」です。
 本書は三話構成ですが、その構成は実によく練られています。オカルトという意味でもそうですし、玉藻と探偵と、そしてイソラとの関係という意味でもそうです。自然現象と超自然現象とオカルトと、現実と虚構と真実と、そして玉藻と探偵とイソラとの三角関係。それらの組み合わせの濃淡の妙が楽しいです。そこそこにエロくてグロないかがわしいシーンや描写もありますが、それらもオカルトらしさを醸し出すのに一役買っています。完成度の高さと続巻の期待度が同居している作品です。オススメです。
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