『サクラダリセット 7』(河野裕/角川スニーカー文庫)

 だから私たちは、正しいものの間違っているところまで理解するべきなんだろう。
(本書p309より)

 「セカイ系」という取り扱い注意の概念がありますが(苦笑)、”主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと”(参考:セカイ系 - Wikipedia)という定義に倣えば、本書はセカイ系に属する作品として理解することができます。ただ、本書では、咲良田のあり方が決定された上で、最後の最後に「きみとぼく」の問題と向き合うことになります。「きみとぼく」の問題とセカイとが直結しながらも、その関係性はつまるとこと「ぼく」の問題ということに尽きるでしょう。ひとりの少年が我を通すお話です。
 本書序盤での改変された咲良田の世界。浦地の計画によってすべての住人が能力に関する記憶を消されたことによって能力の存在しない世界。とはいえ、それは大局的には浦地の計画というよりは相麻菫の計画というべきでしょう。そこでの相麻菫と浅井ケイとのやりとりと、ただひとり能力の存在する世界と存在しない世界とのふたつの記憶を有する浅井ケイの苦悩と選択に、『涼宮ハルヒの消失』(谷川流角川スニーカー文庫)の長門キョンとの関係を想起された方も多いのではないかと思われます。時間と記憶とは密接な関連性を有しているということがいえると同時に、両作品ともに角川スニーカー文庫というレーベルであるという点も含めて、本書はポスト・涼宮ハルヒ作品として理解することもできるでしょう。
 同日に刊行された『ベイビー、グッドモーニング』(河野裕/角川スニーカー文庫)のプロローグに、あまり汚れないけれど掃除をされることもない天井と、よく汚れ毎日のように掃除される床を比べた時、天井の方が幸福だと思いますか?という問い掛けがありますが、本シリーズは”あまり汚れないけれど掃除をされることもない天井”のお話だといえるでしょう。
 シリーズ最終巻ですが、ここだけの話、個人的に本書で一番印象に残ったのは脇役中の脇役である坂上だったりします。「他者の能力を他者にコピーする」という能力からして、坂上は徹底的に脇役体質の登場人物です。ですが、作中での宇川との会話にもあるとおり、宇川自身や浅井ケイ、浦地正宗、そして春埼美空といった、自らの行動に際し勇気が伴わない登場人物が多い本作にあって、彼の普通ともいえる個性は逆に際立っているように思います。「要は、勇気がないんでしょ?」といったフレーズが一時期ネットで流行りましたが、勇気と行動の関係について考えさせられます。坂上以外の登場人物たちも、本書の結末において意味のある存在として現れ、その能力もまた有意なものとして機能します。シリーズ通して見事な構成です。
 記憶保持の能力を持つ少年が抱く未来への希望と、未来視の能力を持つ少女の未来への絶望と、より良い未来のために過去をリセットする能力を持つ少女の成長とが描かれた物語です。オススメです。
【関連】
『サクラダリセット』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 2』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 3』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 4』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 5』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 6』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館