『少女』(湊かなえ/双葉文庫)

少女 (双葉文庫)

少女 (双葉文庫)

 『少女』というタイトルのとおり、少女を描くことを主眼としたお話です。とはいえ、一般的(?)な意味での少女をイメージされると期待を裏切られるかもしれませんが、もしかしたらこれが直球ど真ん中なのかもしれません。何とも判断しかねます(苦笑)。
 主人公は由紀と敦子の二人の少女。物語は二人の視点が交互に語られる形式を基本線として語られます。二人は友人でありながら、ある出来事をきっかけにすれ違ったまま夏休みを迎える。だが、二人には共通の思いがあった。「人が死ぬ瞬間を見たい」。由紀は病院へボランティアで重病の少年の死を、敦子は老人ホームで入居者の死を、それぞれに見ようとするが……といったお話です。
 基本的に少女は少年よりも早く大人になると思います。それは何よりも身体的な変化が精神的な変化をも伴わざるを得ないからだ思いますが、さらに世の中が子供たちに大人になることを急ぐよう促し、インターネットなどの情報化社会の発展によって耳年増が加速しさらに裏サイトなどによって人間関係が狭いままに複雑化した結果、早熟な子供のまま大人に成りきることができずに社会に進出することを余儀なくされている、というようなことを思ったりしています。
 「人が死ぬ瞬間を見たい」という願望は、換言すれば死への憧憬ともいえるでしょうが、そうした思いは本書の少女たちに限ったものでもないでしょう。それは不謹慎なだけでなく浅薄なものです。浅薄で表層的だからこそ、ミステリやサスペンスといったエンタメ的なストーリーの格好の題材となる隙があるわけですが、しかしながら、それは普遍的な思いであるともいえます。
 生命を産み育む前段階としての少女という時代に、死を思う、ということにはやはり意味があると思います。また、死とは生の裏返しでもあります。なので、死を見たいということは、裏を返せば、生を見たい、ひいては生の実感を得たいということでもあるでしょう。氾濫する情報と人間関係を維持するゲームという日常をふと顧みたときに、刹那的な感傷と同時に死を思うのは、決して不自然ではないと思います。
 少年と少女、老婆と少女という対比によって浮かび上がらせようとする現代的な「少女性」。それは、一見すると擦れているようでも、やはり純真で無垢なものです。しかしながら、それは非常に危ういものでもあります。擦れているからこそ駆け引きに走り、それでいて自分の手持ちのカードはほとんどなくて、ゆえに自らの無力さを思い知ることになれば、ときには身体を売ることまであっさりと計算に入れたりもします。そんな「少女性」が有する不安定さがそのまま物語のサスペンス性を生み出しています。もともとの動機はともかく、病院や老人ホームで少年やお年寄りと直に触れ合うことの意義を垣間見ることができるという点では偽悪的なボランティア小説として評価できたりもします。そういう意味では、軽い気持ちで読んで欲しい一冊です。