『薄命少女』を読んで「ディスコミュニケーション」について考える
- 作者: あらい・まりこ
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2010/06/28
- メディア: コミック
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●アイヨシの書評 『薄命少女』(あらい・まりこ/アクションコミックス)
余命1年と申告された主人公の橘佳苗を中心とした4コママンガ、というちょっと変わった内容。
不治の病というと、世界の中心で愛を叫んじゃったりするお涙ちょうだいものが予想されますが、さにあらず。れっきとした、「コメディ4コマ」なのです。
内容は主に、自身が余命1年と知る主人公橘と、それを知らないクラスメイトやバイト先の人々などとの掛け合いです。
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といった、「主人公しか自分が余命1年であることを知らない」ことによるギャップによる「笑い」を描いています。
佳苗は基本的には自らの寿命のことを周囲に隠しています。なので、自らの薄命をネタにしたギャグを佳苗がいっても相手にはその真意が伝わっていないことがままあります。つまり、ディスコミュニケーションとデスコミュニケーションが本書の笑いの特徴だといえるでしょうか(←上手いこといったつもり)。
とアイヨシは書いていますが確かによく言ったもので、決して伝わることのない「死」について、読者という立場であるからこそ、その勘違いが生み出す「ディスコミニュケーション」を笑いとして受け取ることができるという、何ともいえない気分を味わえます。
人と人との間では多かれ少なかれコミュニケーションの齟齬が発生します。Aさんには大したことのない一言が、Bさんには深刻な事態であれば、その一言の重みは二人の間で全く異なります。twitterのような全世界とつながる双方向ツールが発達するにつれ、相互の背景や文脈をすっとばして「会話」することにより、面と向かって言えば大したことのないやりとりも、喧嘩の火種となる、といった話もしばしば見受けられます。
『薄命少女』では、「死」という最大級の重石を媒体に、この「ディスコミュニケーション」を笑いのネタにします。
この手法は読者にもしばしば向けられ、例えば
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というように、「意図的に読者を勘違いさせるように仕向ける」ネタも混ぜられています。ミステリ的に言えば「叙述トリック」のようなものです。
それはまた、「俯瞰的にディスコミュニケーションを笑う”読者”」をさらに俯瞰的に笑いの対象にしようとする作者の意図かもしれません。
こういった「読者に対する意図的な誤誘導」の積み重ねが最後のお話につながるのであり、このお話のオチは、これはこれで悪くないと思います。
「死」を題材にした笑い、というと不謹慎な気がするかもしれませんが、このマンガが「笑い」の形で投げかける「ディスコミュニケーション」は深く考えさせられる題材としてうまく機能しています。
「死」というよりも、もっと別の、様々なものについて考えさせられる一冊でした。
また、余談ですが、アイヨシも書評で書いた「さまざまな遺影になるカバー」ですが、よくできてるなーと思ったら、装丁は『よつばと!』などでおなじみの里見英樹でした。このマンガの内容にマッチした遊び心のある装丁だと思います。