『龍神の雨』(道尾秀介/新潮文庫)

龍神の雨 (新潮文庫)

龍神の雨 (新潮文庫)

 継父と暮らす兄妹と、継母と暮らす兄弟。降り続く雨の日に、ふたつのきょうだいの運命が死によって合流する……。大藪春彦賞受賞作品です。
 俗に「やまない雨はない」などといいますが、この言葉には雨というものが不幸の比喩であると同時に、不幸というものは耐えて忍ぶものであるという意味も込められているといえます。また、雨が視界を妨げるように不幸もまた物の見方を狭めます。そういう意味でも、言い得て妙な表現だと思います。ですが、そんな言い得て妙として共感できてしまう心情にこそ陥穽が待ち構えているのではないかと、本書を読んでそう思わずにはいられませんでした。
 本書巻末の解説によらずとも、本書に登場する二人のきょうだい(兄妹と兄弟)の運命を象徴しているものは”川”であり、ひいては”龍”でもあります。それは”流”にも通じています。川はいくつものは高きから低きへと流れます。そうした流れがいくつも合流することでひとつの大きな流れとなる。それが川です。抗い難い運命の象徴としての川のイメージから想起されるように、二人のきょうだいの運命もどうしようもないものだったのかもしれない……と思い込めればどんなによかったものか。ですが、そんな安直な思い込みに逃げさせてはくれません。因果の関係を明らかにすることで、もしかしたら別の結末を迎えることもできたのではないかいう可能性を否応なしに考えさせてしまう理知と思考。それがミステリ特有の残酷さであり、と同時に、人生が終わったと思える状況の中からあえて一歩を踏み出すことを模索することを多く描いている道尾作品ならではの”救い”でもあります。

 ――いろんなパターンがある。たとえば誰か人間が、龍を怒らせたとか、龍がほかの神様と闘ってるとか。
(本書p19より)

 龍にいろんなパターンがあるように、本書できょうだいが迎えることになる運命にもいくつかのパターンが考えられます。ひとつには、巻末の解説で触れられているような”選択”の問題がありますが、そうでなくても、本書のような状況では事実関係を確定させることは非常に困難であることが予想されます。そうした客観的な事実認定が困難な場合において、いかにして真実を確定させるのか。刑事事件でしばしば問題になるシチュエーションではありますが、本書の場合にはいったいどうなるのでしょう? いずれにしても、実に巧みな構成です。
 「血は水よりも濃い」などといいますが、血縁関係のない家族の場合はどのように考えればいいのでしょう? 雨とか川といった水に浸されていくイメージのなかで、本書ではまっとうにして皮肉な答えが導き出されています。これまた巧みです。巻末の解説にて説明されているとおり、ラジオニュースによる状況説明の補完や素戔嗚尊の神話の扱い(←これはちょっと巧すぎて鼻につくかも?)などもホントに巧みです。人気作家がその筆力を存分に発揮した作品だといえます。オススメです。