『ダークゾーン』(貴志祐介/祥伝社)

ダークゾーン

ダークゾーン

 第23回将棋ペンクラブ大賞特別賞受賞作。
 塚田裕史。二十歳。将棋のプロ棋士の予備軍である奨励会三段。神宮大学情報科学部三回生。気がつけば暗い部屋の中。周囲には一つ目(キュクプロス)、火蜥蜴(サラマンドラ)、鬼土偶(ゴーレム)、死の手(リーサル・タッチ)、皮翼猿(レムール)、歩兵(ポーン)といった”駒”たち。塚田は赤の王将(キング)として、彼らとともにダークゾーンという異次元で、青の王将が率いる軍勢と死の七番勝負を戦うことになる……といったお話です。
 『バトルロワイヤル』でとみに広く知られるようになりましたが、登場人物たちが理不尽な命がけのゲームに挑むというお話自体はたくさん描かれています。とはいえ、これだけゲーム性が全面に押し出されているものは珍しいと思います*1。ダークゾーンで行われるゲームは将棋のようなものですが、将棋そのものではありません。将棋の最大の特徴である「取った駒を持ち駒として再利用できる」というルールが採用されていることから、このゲームを勝ち抜く上で将棋的思考が重要なのは明らかです。ですが、将棋が完全情報ゲームであるのに対し、ダークゾーンではルールや駒の性能といったものについての不明な情報が、ゲーム開始時点において多々あります。目視するか偵察要員を送らない限り敵軍の様子が分からないといった点も異なります。ポイント制での昇格(プロモーション)というルールも微妙に将棋とは異なります。
 ダークゾーンに登場する駒たちは、すべて塚田と同じく現実世界の人物が駒となっています。まさに人間将棋です。しかも、対戦相手である青の王将は同じく奨励会三段リーグに属する塚田のライバル奥本だったり死の手は恋人の理沙だったり、その他の駒たちも自軍敵軍ともに顔見知りばかりです。
 必要な情報は何か。信頼できる情報を得るためにはどうしたらよいか。ダークゾーンを勝ち抜くために有効な戦略は何か。塚田と駒たちは将棋だけでなく囲碁や他のゲーム、あるいは現実世界での戦略的思考や囲碁や将棋コンピュータソフトのアイデアなどまで持ち出しながら、最適な戦略を探ろうとします。ゲームと現実の主従関係が完全に逆転しているのが本書の面白いところです。
 ダークゾーンとは、一義的には作中で行われる死のゲームの舞台を意味します。ですが、二義的には塚田や奥本の所属する三段リーグという苛酷な競争世界を意味しているといえます。それは、作中の言葉を借りればボトルネックです。苛酷な競争を突破するには勝利あるのみ。そうした勝利至上主義が指し手の視野を狭め、将棋を小さくせこせこしたものにしてしまいます。ネットの掲示板などで”症例会”と揶揄されることもある世界。それが奨励会です。

貴志さんからは、人間精神の暗黒面を抉ることが最大の眼目であったため、主人公(奨励会員)も大きな人間的欠陥の持つ部分があり、また主人公を通して見る三段リーグ奨励会も必ずしも肯定的な描き方ではなく、将棋界の関係者に不快の念を抱かれるのではないかという懸念を持っていたこと、そのような中で受賞が決まった喜び、などが語られた。
ドメインパーキングより

 勝負の世界においては光もあれば闇もあります。そうした勝負の闇・負の部分というものは、ノンフィクションとして語るにはあまりにも苦すぎます。そうした部分を小説というフィクションの形式で描き出しているのが評価されたといえるでしょう。
 また、ダークゾーンというのは「心の闇」でもあります。「心の闇」などといってしまうと胡散臭さも漂ってきますが、本書で描かれている「心の闇」というものは突飛なものではなくて、困ったことにむしろ普遍的なものであるとすら感じます。本書における「心の闇」は、戦い続けること・勝利に執着することによる歪みから生まれる欠陥です。ですが、そうした間隙は、バブル崩壊後のボトルネックを生きる者たちにとって決して無縁のものとは思えません。誰もが陥りかねない「闇」でしょう。
 目次を見れば「第一局」から「第八局」(!)そして終章まで続く章題と、一局ごとに「断章」が挿まれている構成が目を引きます。ダークゾーンの世界と現実世界との関わりが徐々に明らかとなっていく過程とダークゾーンの七番勝負のゲーム的スリルとが相俟って抜群のリーダビリティです。将棋ファンはもとより多くの方にオススメしたい傑作です。
【関連】作家・貴志祐介さんの小説『ダークゾーン』が将棋ペンクラブ大賞で特別賞を受賞: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

*1:設定的に類似している作品については、作中においてもp112以下などで何作品か挙げられています。