『斗棋』(矢野隆/集英社)

斗棋

斗棋

「駒に人をあてがい、対局をする。そして、互いの駒がぶつかれば、あてがわれた者同士が戦い、勝った方の駒が残る。敗れた駒は二度と盤上には戻れねぇ。取り捨てだ。そうして対局を繰り返し、玉を取られた方が負けだ」
(本書p54より)

 幕末の黒田藩の宿場町にて対立する扇屋徳兵衛一家と斑目の彦左一家。対立する二つの博徒集団だったが、遂に決着をつけるときがきた。それが斗棋、すなわち、駒に選ばれた人間たちが自らの命を賭けて闘う人間将棋です。
 本書で行われることになる人間将棋「斗棋」はまさに命がけの勝負です。駒に選ばれた博徒たちは、駒がぶつかるたびに戦い、命を落とすことになります。将棋とはいうものの、取り捨てルールが採用されているので、将棋特有の持ち駒という概念はありません。また、駒の強さは、移動範囲もさることながら駒に選ばれた人間の強さによって段違いに変わってきます。畢竟、戦略よりも個々の「駒」の強さが極めて重要となってきます。なので、いわゆる「将棋」の対局を期待して本書を読むと期待外れに終わってしまう可能性がありますのであしからず。
 一般に、人間を将棋の駒として表現したり扱ったりすることに対して、あまり良いイメージが持たれることはないでしょう。ですが、本書についていえば、一家の親分である「王将」彦左と、四天王と呼ばれる四人の有力な手下(金銀各二枚)の間には信頼関係があって、それぞれの命を決しておろそかにはできないと思う反面、大事な局面では勝負を託す決断をしなければなりません。で、そうした勝負が熱量たっぷりに描かれながらも、それぞれの命はあっけなく散っていきます。実に殺伐とした対局、それが斗棋です。
 また、本書では勇次という三下の博徒が重要な役どころを担っています。故郷を捨てて無宿となったものの、これといった特技もなければ何かに打ち込む根性もない半端者。ついた二つ名は「逃げ足」という、情けないながらもどこか憎めないキャラクターである勇次ですが、いみじくも斗棋における一枚の歩に選ばれてしまったがために、彼の生き様は大きく変わっていきます。「地位が人を作る」といいますが、駒としての役割をあてがわれたことによって、勇次という人間もひとつの駒として作り上げられていきます。それは、何者にも成りきれなかった勇次が何者かになるまでの物語だといえます。「力こそが正義」の博徒の世界において、図らずも駒としての力を身につけていく一方で、削ぎ落とされていくものもあります。
 一度「駒」として生きることに殉じてしまうと、そうして零れ落ちていくものや打ち捨てられていくものの大切さを駒自身には自覚できなくなっていきます。血で血を洗う過激な勝負の果てに描かれているのは、そんな哀切です。
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