『狐火の家』(貴志祐介/角川文庫)

狐火の家 (角川文庫)

狐火の家 (角川文庫)

 『硝子のハンマー』に続く防犯探偵・榎本シリーズ第2弾は四編の中短編集です。
 貴志祐介のほとんどの作品が「怖さ」の要素が含まれている。そんな中、一見「怖さ」と無縁なのが防犯コンサルタント探偵・榎本径と弁護士・青砥純子のコンビが登場する一連の本格ミステリである。だが、本当に無縁なのだろうか……。という指摘がなされているのが本書巻末の千街晶之の解説です。
 当該解説では作中の密室トリックの実現可能性の高さが「怖さ」の理由とされていて、それは確かにその通りです。さらにいえば、例えば「盤端の迷宮」ではドアチェーンによる密室が問題となっています。

「ドアチェーンは一般に外からは外せないと信じられてるが、ゴム紐と画鋲を使えば、実は簡単に外せるんだ(中略)」
「ふん。やっぱりそうか。その手口を詳しく教えろ」
「……だが、このドアの場合、どちらの方法も使われた形跡がない」
(本書p228〜229より)

とあるように、より現実的な手段の可能性を提示しておきながらそれを具体的に提示することはありません。それこそ現実的防犯上の理由からでしょうが、そうしておきながら、その一方で実現性の高い虚構のトリックを成立させています。いわば、火薬庫の隣で火遊びをしているかのような恐怖。それこそが本シリーズにおける「怖さ」の根源ではないかと私は思います。

狐火の家

「狐火のメカニズムって知ってる? 温度の違う空気の層がレンズのような役目を果たして、光をねじ曲げることでできるんだそうよ。狐火が見えるのは、実際に発光している本体とは違う場所なのよ」
(本書p92より)

 タイトルからしてクイーンの『フォックス家の殺人』を連想するのは私だけではないはず(?)。
 築100年の日本家屋に外国製の特殊な鍵などの特殊な防犯設備が施されているどこかアンバランスな建物内での密室殺人事件。建物だけでなく目撃者の証言からも密室性が強調される不可解犯罪を前に、青砥と榎本の間で密室トリックを検証する活発な議論が交わされます。

黒い牙

 毒蜘蛛による死亡事件。事故かそれとも……?蜘蛛嫌いの方にとっては身の毛もよだつ作品でしょうが、そうでなくても毒蜘蛛が近くにいるかもしれない恐怖は蜘蛛嫌いの青砥ならずとも耐え難いものでしょう。恐怖と理性のギリギリのバランスの果てに真相が導き出されるまでの線はまさに「蜘蛛の糸」というべきか。

盤端の迷宮

 作品の最後に、”日本将棋連盟および竜王戦は、実在する団体と棋戦の名前をお借りしました。また、チェスの歴史に関する記述は、おおむね事実に基づいています。ただし、それ以外の人物・事件等については、すべてフィクションであり、現存するいかなる個人・団体とも無関係です。”といったいわずもがなの注釈がつけられていますが、それだけきわどいネタが用いられていることの証左であるといえます。

性悪説ではありません。私は、すべての人間が不正を行うとは言っていません。むしろ、そういう機会を与えられても、自分を律する人間の方が多いだろうと思っています。あるいは、一部の人間は常に不正を行うというものでもありません。……しかし、ある程度の規模の集団があったとき、そのメンバーがどれほど選び抜かれていたとしても、誰一人永遠に不正を行わない、などということは、私には信じられないんです」
(本書p281より)

 将棋界のビッグタイトルである竜王戦が行なわれている当日、若手棋士が殺人事件の被害者となるという、天王山と盤端の違い。それは勝負の厳しさ、将棋界の競争の苛烈さを象徴するものです。被害者が殺されていた部屋の机には将棋マグネット盤の将棋が。そして、その盤には現在対局中の竜王戦の将棋の盤面が、▲1六桂打ちの妙手の局面が並べられていた……。という、将棋ファンからすれば興味津々の内容かと思われます。
 本書の単行本版が刊行されたのは2008年3月ですが、作中、女流名人の肩書きを捨てて奨励会に入会して三段リーグを戦っている来栖菜穂子という重要人物が登場します。こうした設定は、2011年に里見香奈女流三冠が奨励会編入試験を受験という展開をあたかも先読みしていたかのようで驚きです*1。また、同じく作中で紹介される毒島竜王対『電脳将棋・ゼロ』のエキジビジョン対局は、渡辺明竜王対ボナンザ戦そのものです。
 コンピュータソフト、女流棋士三段リーグ、タイトル戦といった将棋界のトピックをいくつも扱いながらも、ひとつの事件としてまとまりのあるストーリーと、将棋界を題材としたミステリならではの論理と真相が描かれています。オススメの逸品です。

犬のみぞ知る Dog knows

 GodをもじってDogというのはよくあるネタですが、そんなタイトルの通り番犬によってのみ成立している密室トリックです。起きたことを順序立てて考えるとおかしなことになる、という真相はタイトルのもじりの遊びにもかかっています。コメディタッチな雰囲気とシンプルなトリックが楽しい佳品です。
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*1:ちなみに、2011年5月26日の役員会において、女流棋士が奨励会試験を受験し入会することは自由とされました。