やがて消えうせてゆく、儚くも美しい日々。 鎌谷悠希『少年ノート』

少年ノート(1) (モーニング KC)

少年ノート(1) (モーニング KC)

歌う理由は 人の数だけ 音の数だけ
大きな 小さな
無意識の 意識した
バラバラの心がひとつの歌をつくる
だからきっと
合唱は面白い
(P213,214)

 モーニング・ツーにて連載されている、鎌谷悠希『少年ノート』が単行本化されました。
ボーイソプラノ、合唱部を舞台とした青春漫画であり、音楽漫画好きなフジモリとしては連載時から注目していた作品。遅ればせながら、つらつらと紹介していきたいと思います。

『少年ノート』、少年「のオト」

中学入学を控えて、母と一緒に学校へあいさつに行った少年・蒼井由多香は、学校で歌が聞こえてくる方向へ向かう。由多香は、合唱に感動して、その場で入部の意思を伝え、ソプラノで好きな歌を歌うが、一部の部員から「痛すぎ」と陰口をたたかれてしまう……
まんたんwebより)

 主人公の少年・蒼井由多香は、「天使の声」と称される美しい「ボーイソプラノ」の声の持ち主。そして、その溢れんばかりの感受性により彼が紡ぐ歌は、聴くものを異世界に連れ出すかのような美しい音色を奏でます。彼の歌声と純粋な心が、彼の周囲を様々に変えていく、という暖かな物語です。
 「ボーイソプラノ」とは、女声の音域である高音域の「ソプラノ」を変声期前の青少年男子が歌うことを指し(あるいは「ボーイソプラノ」を歌う青少年そのものを指します)、「ウィーン少年合唱団の歌声」と言えばピンとくる人も多いと思います。

 その美しくも危うい響きを持つ歌声は、女声によるソプラノとも異なる独特の音色で、宗教曲などでも使われます。
 主人公・蒼井由多香もまた美しいボーイソプラノの声を持っていますが、それ以上に特筆すべきは彼の持つ感受性。
 「すべての音がドレミで聞こえる」絶対音感とはまた異なる、「すべての音がイメージとして流れ込んでくる」由多香は、豊かすぎる感性を持っているがゆえに、一般社会との軋轢を抱えます。
 「天才と一般社会との軋轢、そしてそれにともなう苦悩」という物語は昔からある題材ですし、「音楽家(芸術家)という変人」という物語もまた枚挙に暇がありません。
 しかし、多くの物語が「孤独を”是”とする天才像」を描くのに対し、『少年ノート』の主人公・由多香は、「歌が好き」「合唱が好き」という純粋すぎるほど純粋な意識のベクトルを持っています。
 ボーイソプラノ、繊細すぎる感受性、純粋な意思という彼の持つ特徴のどれもが、「やがて失われるもの」という要素を孕んでいます。
 『少年ノート』は主人公のボーイソプラノ・蒼井由多香が彼の歌声と純粋な心によって周囲が変わっていくという大きなストーリーの流れの底に、「やがて失われるもの」というテーマを秘めている、はかなくも美しい物語なのです。
 『少年ノート』の副題は”Day of Evanescence”。

ev・a・nesce[ vns | v- ]
[動](自)しだいに消えてゆく;消えうせる.
eプログレッシブ英和中辞典より)

 やがてきえうせてゆく日々。儚いがゆえに美しい、まさに「ボーイソプラノ」そのもののような物語だと言えるでしょう。

「合唱部」という「舞台」

 一方で、この『少年ノート』は彼が所属する「合唱部」が舞台となっています。
 熱血漢の部長・別役、冷静な、それでいて面倒見のよい副部長・町屋、由多香にキツくあたるテンデレ比率99:1の高峰、音痴だが由多香を心配して合唱部に入った鞆など、様々なキャラクタが物語を彩り、そして由多香の歌声や気持ちによって「変わって」いきます。
 「合唱部」を舞台とした漫画は少なく、以前書評でも取り上げた岩岡ヒサエ『オトノハコ』が思い当たるぐらいです。
心地よき合唱マンガ 岩岡ヒサエ『オトノハコ』
 「合唱」とは、大勢の歌い手がいくつかのパートに分かれ「一つの歌声」を奏でることによる美しさを醍醐味をして持っている音楽のジャンルですが、その「醍醐味」がそのまま「合唱漫画」の難しさに転化されます。
 「合唱」というジャンルそのものがマイナーであることに加え、「合唱漫画」は「音楽そのものを表現しにくい」という他の「音楽漫画」と同様のハンデキャップを抱えていますし、それ以上に「演奏に派手さが無い」ため読む側がカタルシスを得にくいです。そして、例えばオーケストラやブラスバンドでは「楽器による個性」と「キャラクタ」が結び付けられますが、数人(数十人)で一つのパートを歌う「合唱」は「合唱そのもの」とキャラクタの個性を表現しにくいというまさに「何重苦」も抱えている「漫画にしにくい」ジャンル。合唱経験者のフジモリとしては「漫画では合唱の良さや楽しさが伝わりにくい」という点で非常に歯がゆい思いをしています。
 その点、『少年ノート』では「合唱部」そのものを描くのではなく、主人公・由多香が所属する「小さな社会」として描くことで、主人公を引き立てつつも合唱そのものの良さを引き出すことに成功していると思います。
 そもそも、主人公の「個性を持ったすばらしい歌声」そのものは、「合唱」とは相容れない部分を持ちます。

「音楽ってみんなでやる面と個人の戦いという面で、それぞれ考え方が大きく異なるんだよ。プロを目指すなら大抵は後者だ。レベルアップのための環境を吹奏楽部におかないだろうし、楽器をさわったきっかけが家庭内なら、部活動で練習するのはなおさら辛いと思う」
(中略)
「プロを目指す特定のパート奏者から見て、他の楽器ってあまり興味がないんだ。吹奏楽の醍醐味でもある、野球でいうキャッチャー、ピッチャー、サード、代打・・・・・・というチームプレイの感覚はない。技術がない奏者は白い眼で見られるだけで、自分は自分。ただひたすら練習するだけ。そしてそれが報われる」
初野晴『初恋ソムリエ』文庫版、P35,36)

 「個性を消すことが合唱」ではありませんが、「あまりにも強すぎる個性」は合唱そのものの調和を乱すこともあります。彼の歌声、性格、そのどれもが「合唱部」にとっては異端ですが、それをも上回る由多香のボーイソプラノで、「合唱部」そのものが変わっていきます。
 『少年ノート』で描かれる「合唱」は、「個性をつぶすことによる統一した歌声」という思春期の子供たちにアレルギーとトラウマを植え付ける「やらされ合唱」ではなく、「さまざまな個性を束ねて一つの音色にする」という方向性を向いており、その点もフジモリにとってはポイントが高いです。
 1巻の時点では由多香が合唱部に入部し、これから合唱を始めるところまでですので、2巻以降で描かれる「合唱そのもの」もまた楽しみにしたいと思います。

ボーイソプラノ」と「合唱」と

 やわらかい筆致で描かれる歌唱シーンもまた、この漫画の見所です。

 本作で歌われている合唱は、「春に」「君を乗せて」「COSMOS」など読者も歌ったことがあるであろう、かなりメジャーな曲をセレクトしています。
 作中で歌われている曲については別記事で補足しますが、彼らの歌声を想像し「原曲」にふれるという楽しみ方をすればこの作品がもっともっと楽しめるのではないかと思います。
『少年ノート』をより楽しむためのBGM(1巻)

 作者の鎌谷悠希さんは合唱を聴くのが大好き。とりわけ、変声という避けられない運命を背負う少年合唱には思い入れがあり、前作「隠の王」連載中から「いつかボーイソプラノを題材にしたマンガを描きたい」と思っていたようです。
まんたんwebより)

 作者・鎌谷悠希wikipediaにも書かれているとおり少年合唱が好きであり、『少年ノート』は彼女の想いと熱意がこめられた作品でもあります。
 「合唱部」という舞台で彼がそのボーイソプラノをどのように響かせるのか、そしてどのように「消えさって」いくのか。「音楽漫画」としてではなく「青春漫画」としても楽しみな一冊だと思います。多くの人に読んでいただき、そのついでに合唱というジャンルそのものにも興味を持っていただければうれしいなー、などと下心含めオススメしたい一冊です。
【ご参考】
マンガ新連載:「少年ノート」 「隠の王」の鎌谷悠希新作はボーイソプラノを持つ少年の物語 - MANTANWEB(まんたんウェブ)
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/22/079/index.html
作者HP「烏羽」
作者twitter @yuhkikamatani