中田永一『くちびるに歌を』小学館

くちびるに歌を

くちびるに歌を

 中田永一乙一)による、長崎の五島列島にある中学校の合唱部を舞台とした青春小説です。
 産休の松山先生の代わりに合唱部の指導についたのは、先生のもと同級生で東京から帰ってきた美人な柏木先生。彼女めあてでたくさんの男子生徒が合唱部に入団し、はからずも女声合唱から混声合唱でNコンを目指すことになる合唱部。課題曲の「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」にあわせ未来への手紙を書く部員たちには、それぞれが他人に言えない「秘密」を秘めていた・・・。というお話です。
 長崎の五島列島という離島を舞台にしたこの小説。『二十四の瞳』を思わせるかのような澄んだ空と澄んだ海が広がるなか、「合唱」を軸に紡がれるこの物語は、さまざまな登場人物の一人称で語られる群像劇です。おのおのが持つちょっとした「秘密」がときに事件を巻き起こし、時に人と人をつなげます。
 乙一、とくに「白乙一」と呼ばれる作品は、絶妙な伏線や物語の起伏によるストーリーテリングの巧みさや、作品を支配する「切なさ」、そして「ぼっち」な登場人物に代表される「表ではない人々」の見事な描写によって構成されており、この『くちびるに歌を』もまた同様に見事なまでに「白乙一」していました。
 しかも今回書くのは中学校の合唱部。男子と女子との対立や事件、そして小さな恋の芽生えなど読んでいてキュンキュンしたり昔を思い出して死にたくなったり(←?)といろいろな意味で読者の心を打つこと請け合いです。
 「合唱」という要素もこの物語に色を添えます。

「一人だけが抜きんでていても、意味がないんだ。そいつの声ばかり聞こえてしまう。それが耳障りなんだ。だから、みんなで足並みをそろえて前進しなくちゃいけない。みんなでいっしょになって声を光らせなくちゃいけない。なによりも、他の人とピッチを合わせることが武器になるんだ。だから、だれも見捨てずに、向上していかなくちゃならない」(P142)

 複数の人間の声が、織物のように世界を紡ぎ上げていた。伴奏と人間の声だけで、音楽のうねりが作り出される。複数の合わさった声は、音の巨大な生き物を生み出していた。神話で語られるような大きさと神々しさの音楽の生き物だ。(P241,242)

 と、皆で声を合わせる難しさ、そして楽しさを併せ持つ「合唱」そのものの素晴らしさがそこかしこに伝わってきます。
 「合唱」は皆で歌う表現芸術であり、それゆえに皆の心がつながることが重要です。合唱部の彼ら彼女らの関係がそのまま彼ら彼女らの歌う歌にダイレクトに反映することで、読むものもあたかも彼ら彼女らの歌声が聞こえてくるかのような錯覚を覚えます。
 当然乙一ですので単なる甘くて酸っぱい青春小説ではなく、ほろ苦さや切なさ、そしてちょっとした「トゲ」も多分に秘めています。
 しかしながらそれすらも一つのアクセントとなり、彼ら彼女らの歌声とともに読者の心に深い感動を残します。
 遠かりし日々。不格好でも想いが込められた歌声。
 現時点での中田永一乙一)の最高傑作だと思いますし、多くの人に読んでいただきたい一冊です。