『心臓と左手 座間味くんの推理』(石持浅海/カッパ・ノベルス)

心臓と左手  座間味くんの推理 (カッパ・ノベルス)

心臓と左手 座間味くんの推理 (カッパ・ノベルス)

 『月の扉』で探偵役を務めた”座間味くん”が、警視庁の大迫警視とお酒を酌み交わしながら、すでに終わった(と思わていれる)事件について推理を行なう「安楽椅子探偵」ものです。7つの短編が収録されているのですが、どれも高品質で本格ファンなら嬉しくなっちゃうものばかりです。
 〈貧者の軍隊〉は、『現代の仕置人』『世直し人』と呼ばれている過激派〈貧者の軍隊〉の隠れ家で発生した密室殺人事件についての推理です。標的が間違いなく犯罪者で標的以外の人間を傷付けないというテロ集団ですが、これだけ聞くと何となく『デスノート』が思い浮かんじゃいます(笑)。実際はカップラーメン爆弾とかペットボトル焼夷弾といったきちんとした(?)方法で殺害しているのでそれとは全然違いますけどね。ただ、『デスノート』によってフィクションながらもこうした集団が存在することについてのリアリティが補強されているのは確かでしょう。密室と聞くと、自殺か殺人かのメルクマールとして意識してしまいがちですが、それとは別のところに推理の糸口を持ってきて、そこからスルスルと真相を解き明かしていく手腕はさすがです。短編集のトップバッターとして読者の目を覚まさせるのに相応しい作品です。
 〈心臓と左手〉は、表題作だけにやはり傑作です。新興宗教は、特に地下鉄サリン事件以降、ミステリ作品でも頻繁に用いられるガジェットとなりました。奇妙な論理・動機を作りやすいのがミステリ作家からすれば便利なところだと思います。しかしながら、新興宗教=悪というわけでは決してありません。日本国憲法だって信仰の自由は保障しています。人に危害さえ加えなければ宗教だって何の問題もないはずです。そこに盲点を発見して本格ものの名品を作っちゃうんですから、鮮やかとしか言いようがありません。
 〈罠の名前〉は、プロット自体は〈貧者の軍隊〉と近しいですね。もっとも、そこで訴えられているメッセージは、テロとの戦いの名の下に人権に対しての配慮がともすれば薄くなりがちな現代の風潮に対して敬称を鳴らすものになっています。ところで、タイトル〈罠の名前〉というのが妙に意味深に思えて気になります。本作で仕掛けられている罠は専門的に何というのでしょうか? もしかしたら、そこから作者の意図が読み取れたりするんじゃないかと思ってるのですが。ご存知の方がおられましたらお教えいただければ幸いです。
 〈水際で防ぐ〉は、過激な環境保護団体の組織で起きた殺人事件についての推理です。外来種の危険・生物相の保護といった新しい社会問題をシンプルに作中に取り込み読者に対してもアピールしつつ、そこから捻りの効いた展開を見せます。個人的に本作のような最後のオチは好きです。短編集にこういうのが一本あると引き締まりますよね。
 〈地下のビール工場〉は、自家製ビールのアルコール度数は一パーセント未満でお願いします、酒税法違反だよ、というお話です(笑)。いや、冗談ですが、それと外為法とを結びつける発想がユニークで面白いです。外為法違反事件そのものは昔からありますが、そうした問題がクローズアップされるようになったのは、やはり北朝鮮との問題が明るみになって以降のことでしょう。一般に法の裏をかくのは犯罪者の仕事とされてますが、それを逆手に取った論理の構築が見事です。それと、ちょっとだけネタバレになりつつも言わずにいられないのが、地下鉄サリン事件を風化させちゃダメだな、ということです。
 〈沖縄心中〉は、沖泡米兵少女暴行事件(参考:Wikipedia)や普天間飛行場返還問題(参考:Wikipedia)を当然の前提とした上でのアメリカ軍基地と沖縄の問題が事件のガジェットとして組み込まれています。本作の場合、〈安楽椅子探偵〉という設定が物語的に生かされているのがとても興味深いところです(その是非は別問題ですが)。
 〈再開〉は、本のオビや裏表紙でも語られているとおり、『月の扉』から11年後の、ある事件関係者にまつわる推理です。本作だけは個室でお酒を酌み交わしながらという設定ではないのですが、事実の調査とかをせずに伝聞のみで論理を組み立ててるという意味では安楽椅子探偵ものといって差し支えないですし、まあ細かいことは気にしない方向で(笑)。話題としては一番の作品かもしれませんが、個人的にはイマイチでして、これを最後に持ってくるのはどうかと思わなくもないですが、この微妙さが石持浅海らしいと言えばらしいのかも知れませんね(苦笑)。もっとも、前向きになれるという意味では本作が一番かも知れませんが。
 以上、各短編ごとにつらつらと語ってきましたが、全体として、今風の社会問題を巧みに取り入れて本格のロジックを構築しているものばかりです。
 ミステリ界のムーブメントとして、かつて本格から社会派、社会派から新本格という大まかな流れがあったのは確かです。社会派が本格を駆逐し、新本格が社会派を駆逐したという見方が出来なくもないので、ともすると社会派と本格とを対立した概念として誤解されがちです。しかしながら、本格の論理的遊戯性と社会派の有意性とは、確かに両立は困難かもしれませんが、概念として別に対立するようなものでもありません。優れた本格社会派ミステリがあったって何の問題もありません。むしろ、本格としてのアイデアが出尽くした感のある今だからこそ、社会問題と積極的に相対することで新しいアイデアが生まれることだってあるでしょう。本書の存在がまさにそれを証明しています。本書を作品を読むことで、今後も本格ミステリを読み続けてくことに対して希望を持つことができました。それが私にとって大きな収穫なのは間違いありません(笑)。
 『月の扉』が性に合わなかった方はひょっとしたら本書を手に取るのを躊躇われるかもしれません。しかし、正直言って『月の扉』より本書の方が遙かに面白かったので、読まず嫌いだけはして欲しくないです。オススメですよー。
月の扉 (光文社文庫)

月の扉 (光文社文庫)