キョンのモノローグと「たとえツッコミ」

情けないことに、俺はまだまだ語彙力に磨きをかける必要があるようだ。
(『涼宮ハルヒの驚愕(後)』P253)

涼宮ハルヒの驚愕』初回限定版前後編を読了しました。
前作『涼宮ハルヒの分裂』から4年振りということですが、ブランクを感じさせず一気に読み終えてしまいました。
内容についてはネタバレになるのでここでは語りませんが、以前ウソ書評で書いた内容とは違ってましたよ(←当たり前です)。
三軒茶屋別館 (ウソ書評)谷川流『涼宮ハルヒの分裂』角川スニーカー文庫



閑話休題
涼宮ハルヒの驚愕』を読んで思ったのが、キョンの独り言に対する既視感でした。
「なんだろーなー」と考えながら読み進めていたのですが、はたと、「あ、これ、いわゆる「たとえツッコミ」だ」と気づきました。
例えば、こんな表現。

実際、ハルヒが朱色なんだとしたら俺はとっくの昔に赤く染まっちまってるわけで、今さら別の色のペンキを頭からかぶろうとは、たとえそんなことが可能だったとしてもゴルジ体の直径ほども思わんね。
(『涼宮ハルヒの驚愕』前編P6)

正確には「ツッコミ」ではありませんが、「涼宮ハルヒ」シリーズではこのような「たとえ表現」が多々あります。
「たとえツッコミ」とは、

例えツッコミ
ボケを「○○じゃないんだから」「お前○○か!」などと何かに例えてつっこむ。パイオニアビートたけしと言われている。くりぃむしちゅー上田晋也はそれをさらに昇華させ、より縁遠いものに例えて笑いを膨らませる独特の芸にしている。これを使用する漫才師は他に南海キャンディーズサンドウィッチマンなどがいる。
wikipediaより

というツッコミのことで(まさかwikipediaにのってるとは思わなかった)、2011年1月2日に放映された特番「さまぁ〜ずHIGH」では「例えツッコミ杯」というコーナーでインパルス堤下やフットボールアワー後藤が挑戦、同じくさまぁ〜ずの番組「マルさまぁ〜ず」ではブラックマヨネーズ小杉が無理やり着せられた服に対しての例えツッコミの内容を当てる「ちゃうねんからビンゴ」「ちゃうねんからストラックアウト」というコーナーもありました。
【ご参考】くりぃむしちゅー上田のたとえツッコミ集
ここ数年でこの「たとえツッコミ」をする芸人の数および質があがり「たとえツッコミ」そのものが一ツッコミジャンルとして定着してきたから*1ポロロッカ的に「あ、このキョンのモノローグにある表現って「たとえツッコミ」だ」と感じたのかもしれません。
実際、キョンの独り言の「たとえ」は、シリーズ第一作『涼宮ハルヒの憂鬱』からその萌芽が見られました。

しかしハルヒは、義理の娘は毒リンゴを齧って死にましたと報告を受けた継母のようなニマニマ笑いを顔中で表現しながら、提げていた紙袋を持ち上げた。
(『涼宮ハルヒの憂鬱』P297)

以降も

苦労ついでに早くハルヒをどうにかしてやってくれ。でないとこの女団長はいつまで経っても謎のまま、中性子星みたいな引力で俺を重力圏に搦め捕ったままだろうからな。
(『涼宮ハルヒの溜息』P145)

古びたわら半紙を見て、朝比奈さんがロザリオをかざされた新米吸血鬼のようにたじろいだ。
(『涼宮ハルヒの憤慨』P185)

とそこかしこで「たとえ表現」による独り言が綴られています。
最新作『涼宮ハルヒの驚愕』では、それこそ1ページに2、3コはあるぐらいの「例え表現」のオンパレードで、「そりゃ、4年もかかるわなぁ」*2とある意味感心しながら読んでいました。
これだけの「たとえ表現」をまぶされると衒学的で小賢しく思いがちですが、もともとキョンの独り言自体がくどい(しかし読みやすい)のであまり読みにくさを感じません。このへんは作者・谷川流の文章力の巧さによるところなのかもしれません。
この「たとえツッコミ」という観点に注目して「涼宮ハルヒシリーズ」を最初から読み直すのもまた、面白いかもしれませんね。

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

*1:あくまでフジモリの体感レベルですが

*2:あとがきを読む限り、遅れた理由は実際には違うと思われますが。