『噂』(荻原浩/新潮文庫)

噂 (新潮文庫)

噂 (新潮文庫)

うわさ【噂】
[名](スル) 1 そこにいない人を話題にしてあれこれ話すこと。また、その話。「同僚の交遊関係を―する」 2 世間で言いふらされている明確でない話。風評。「変な―が立つ」
噂の検索結果 - goo国語辞書より

レインマンが狙うのはティーンエイジの女の子ばかり。逃げられないようにまず女の子の足首を切り落としちゃうそうよ。でもなぜかミリエルの香水をつけている女の子は狙わない。だからニューヨークの若い女の子はみんなミリエルのローズをつけるんだって……」香水の新ブランドを売り出すため渋谷でスカウトしたモニターの女子高生の口コミを利用して広めた噂。それはやがて都市伝説となり香水はヒット商品となる。しかし、現実に足首のない女子高生の遺体が発見される。殺人事件と都市伝説の関係は?そして犯人はいったい何者なのか?といったお話です。
 WOM――WORD OF MOUTH――要するに口コミのことですが、口コミにしろ噂にしろデマにしろ、そうしたものは普通に考えれば自然に発生するものです。ですが外交にしろ商売にしろ情報戦が当たり前のものになっている昨今においては、口コミもまた情報戦の一環として人為的に発生させられていたとしても別に不思議には思いません。メールやツイッターといったコミュニケーションツールが発達した現代となればなおさらです。
 操作された情報によって人は操作されます。その人によって情報が操作されます。操作されるのは果たして人なのか情報なのか。噂というのは真偽不明な話ですが、その真偽の境界もときに曖昧です。「水がない」という虚偽の噂が流れたとして、その情報に踊らされた人々が水を買い占めてしまえば水は本当になくなってしまいます。人は口コミに流されやすく、ネガティブな情報はポジティブなものよりも十倍の速度で伝達される……。
 そんな噂や口コミといった情報の広がり方と人間の行動との関係とかの小難しい話になるのかと思いきや、一転して刑事である小暮からの視点描写に変わります。そして、殺人事件の幕が上がります。小暮は中年の刑事ですが、菜摘という十五歳の娘がいます。妻は既に他界しているため父と娘だけの親子関係ですが、刑事としての仕事に忙殺されるなかでひっそりと交わされる父娘の会話と絆に心が温まります。また、捜査において小暮とペアを組むことになる本庁の名島は小暮よりはるかに年下で階級がひとつ上で、おまけに女性です。そんな二人が徐々に互いを信頼しながら捜査を進めていく過程はページをめくる手が止まりません。そんなわけで本書はすいすい読めてしまう上質なサスペンスなのですが……。
 本書には大きな二つの仕掛けがあります。ひとつは『噂』というタイトルに掛かる仕掛けです。つまり、「そこにいない人を話題にしてあれこれ話すこと」です(ナンノコッチャ)。
 もうひとつは、書影のオビに書かれている「衝撃のラスト一行」という趣向です。ネタバレはネタバレですが、オビに堂々と書かれているので仕方がありません(笑)。それに上述のように本書は捜査の過程がとても面白いのでいざ読み始めれば最後の一行のことなどすっかり気にならなくなっています。なので、だからこそ最後の一行には驚かされました。
 『夜明けの睡魔』(瀬戸川猛資/創元ライブラリ)という海外ミステリについてのエッセイ・評論集があるのですが、その中に「最後の一撃」という項目があります。それによりますと、ミステリの大半は犯人や動機、犯行方法などの真相が最後に明らかにされるという構成をとっているが、そのほとんどは厳密には”最後の方”であって”最後”ではない。ほとんどの小説が真相を明らかにしたあとで補足説明を必要とする。そうしないと読者の納得が得られないからである。だからこそ、最後の最後まで読者に真相を悟られることなく最後の一行で驚愕の真相を明かす「最後の一撃」には緻密さと慎重さと超絶的技巧が必要とされる。もっとも、それはいわゆる「本格物」に限ればの話であって、そうでなければ細かいルールなど気にせず大胆に意外な結末を用意することができるだろうが、それでも「最終ページの大どんでん返し」でなければならない。というようなことが書かれています。詳しくは『夜明けの睡魔』p91以下を実際に読んでいただきたいのですが、こうした「最後の一撃」論に照らし合わせますと、本書は「最後の一撃」ミステリとして非常に優れた作品だということが分かると思います。最後の一行による大どんでん返し、まさに「最後の一撃」です。
 当ブログの記事が「口コミ」として果たしてどれだけの効果があるのか甚だ疑問ではありますが(笑)、とにもかくにも多くの方にオススメしたい一冊です。