『双頭の悪魔』(有栖川有栖/創元推理文庫)

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

 やはり彼女にとって、ここは楽園なのだろうか? ここへ迷い込んだ当座、私もそう感じていた。特別の才能に恵まれた人たちの創作を窺い見たり、彼らが闘わせる難解な芸術論を隅で聞いたりして、新鮮な興奮を覚えた。美しく新奇なものが生み出され、非日常的な言葉が交換される。世俗から隔絶した別世界。誰かがそれを楽園と呼ぶのを聞いても平気だったろう。でも、今は少し違った。――ここから出られないとしたら、それでもここは楽園なのだろうか?
(本書p96より)

 山間の過疎地で孤立する芸術家のコミュニティ・木更村に入ったまま戻らないマリアの身を案じる有馬氏の要請に応じて木更村のある四国の夏森村へと向かう英都大学推理小説研究会の面々。かたくなに入村を拒む木更村の住民の態度に業を煮やしたアリスたちは大雨を突いての潜入を決行する。ところが、大雨の影響で架橋が落ち、木更村も夏森村も陸の孤島と化す。そして、2つのクローズド・サークルで発生する殺人事件。事件の真相は果たして……。といったお話です。
 芸術村についての語りがときにネットのことをいってるように思われるのは私に問題があるのかしら(←多分そう)。
 閑話休題です。「学生アリス」シリーズ3作目は文庫にして解説込みで698ページの大作です。それも当然で、本作では2つのクローズド・サークルのそれぞれで殺人事件が発生します。しかもそれは別々のものではありません。タイトルどおり『双頭の悪魔』なのです。そのため、本書の構成は木更村の事件についての「第一の挑戦状」、夏森村の事件についての「第二の挑戦状」、そして二つの事件の間の視えない糸をつきとめる「第三の挑戦状」と、三つの挑戦状が挿まれています。
 クローズド・サークルは閉鎖された状況だからこそクローズド・サークルなのですが、そんな2つのクローズド・サークルを結びつけるという発想と、それを実現させている手腕は見事です。まさに悪魔の所業です。
 本作はアリスの語りとマリアの語りという2つの視点から、それぞれのクローズド・サークルでの事件の模様が語られます。すなわち、マリアと江神が滞在する芸術家のコミュニティ・木更村での殺人と、アリス・望月・織田が滞在する夏森村での殺人です。探偵役の江神とワトソン役のアリスが本作では分断されているため、これまでの2作とは思考パターンが少々異なるのも興味深いです。特に探偵不在のアリスたち3人のブレインストームによる推理はなかなか面白いです。
 これまでのクローズド・サークルは火山の噴火と孤島+嵐という自然災害による物理的な原因によって閉鎖状況が生じていました。ですが、本作のクローズド・サークルは、一義的にはやはり嵐が原因ではありますが、それ以前に閉鎖的コミュニティという社会的原因による閉鎖的状況が作られていました。コミュニティの維持か変容か崩壊か。コミュニティに迷い込みそこで暮らすことになったマリアにとって、一時的なこととはいえコミュニティがマリアにとっての「世界」です。そのとき、コミュニティという世界を考えることは、結局は自分自身が世界をどのように認識して生きていくのかというフレームの問題に帰着することになります。また、本作では探偵役である江神部長もまた過去の因縁に囚われていることが明らかになります。人と人とを隔てているのは物理的な要因だけでなく心理的・社会的な要因も深く関わっているのだということが、ミステリという知的遊戯の中で妙な力みもなく描かれているのが本作の面白いところです。そうした点にこそ「学生アリス」シリーズがクローズド・サークルをテーマとしている意味があるのだといえるでしょう。
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