『はたらく魔王さま!』(和ヶ原聡司/電撃文庫)

はたらく魔王さま! (電撃文庫)

はたらく魔王さま! (電撃文庫)

 第17回電撃小説大賞銀賞作品。
 世界征服まで後一歩のところを勇者に阻止され、命からがら異世界『日本』の東京に逃げ落ちた魔王サタン。かつての魔力を失ってしまった魔王にできることといえば、今日も駅前のファーストフード店でバイトに勤しみ生活費を稼ぐそれなりに平和な日々。……と思ったら魔王を追って異世界にやってきていた勇者エミリアもまた東京でアルバイトに勤しんでいて、魔王の暮らしを脅かす。そしたら魔王と勇者の命を狙う不穏な動きがあって……。といったお話です。
 異世界往還型のファンタジーといえば、現実世界の住人が何の因果かファンタジー世界で暮らすことになる、というのが普通のパターンですが、本書の場合はファンタジーの住人が現実世界で暮らすことになるという点が変わっています。しかも、魔王と勇者というファンタジー世界のトップクラスの住民が現実世界ではフリーターに身をやつすことになるわけで、世界的にも身分的にも価値観の転換を迫られるわけで、そんな価値観の違いによって現実世界の日常が面白おかしく異化されています。魔王を執拗につけ回す勇者という構図は傍から見たら痴情のもつれにも見えて実際勘違いされたりと、魔王と勇者の関係もまた面白おかしいものになってしまっています。

 自分が生きていた中で阪神大震災というのは、とてもショッキングな事件だったんです。自分が生きている間に、大勢の方が亡くなるような事件が起こったというのが忘れられませんでした。飲み会の時に、神戸出身の友人がポロっと言ったんですよ。「みんな地震のことを聞いてくる。それがものすごくイヤだった」って。これを書く前から、その言葉がずっと心の中に残っていて、この発想はなかったなと衝撃を受けました。ずっと一緒に芝居をやっていたやつなんですが、やっぱり現場で「神戸出身です」というと周りから地震について聞かれるんですよ。そのたびに、ずっとこう思っていたんだ……と。この作品の中で唯一、社会的な問題を取り入れた部分ですね。
電撃 - 電撃大賞銀賞受賞作『はたらく魔王さま!』和ヶ原聡司先生インタビュー!より

 阪神・淡路大震災が起きたのは1995年(平成7年)です。体験者が辛い体験についていちいち触れられたくないという気持ちは理解できます。ですが、だからといって語らないままだと風化していってしまいます。今が2011年で読者の中心層が震災について知る由もない世代であろうだけに尚更です。だからこそ、こうして物語の中でさり気なく取り入れることは非常に意義あることだと思います。
 で、それ以外は確かに社会派性のまったくない庶民派ファンタジーです(笑)。とはいえ、今の世の中、「働く」っていうのは立派に社会派なテーマだといえなくもないですが、そんなふうに難しく考えてしまうからかえって働きにくくなるという側面があるのも確かで、とにもかくにも働いてみればいいことあるよっていうポジティブな主張が本書においてはコミカルな意味でもシリアスな意味でも楽しいです。
 設定的には悪魔の魔力の源がそこはかとなく『スレイヤーズ!』を彷彿とさせて懐かしく思ったり、戦闘シーンは確かにいまいちだなと感じたり、だからといって戦闘シーンはほどほどにして日常シーンに重きを置きすぎちゃうと『聖☆おにいさん』みたいになっちゃう可能性があるので次回作を出すのであればそうした点には注意したほうがいいかも、と思ったりしましたが、とにもかくにも面白かったです。