『五声のリチェルカーレ』(深水黎一郎/創元推理文庫)

五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

 本書には表題作「五声のリチェルカーレ」と短編「シンリガクの実験」の二作が収録されています。

五声のリチェルカーレ

「だってそうじゃないか。昆虫だって擬態に失敗したら、当然待っているのは死、なんだから。人間だってそれと同じことだよ」
(本書p25より)

 昆虫好きのおとなしい少年が犯した殺人。その事実は認めたものの動機だけは黙して語らない少年に対し、家裁調査官の森本は何とかそれを聞きだそうとします。そこで明らかになる意外な真相は……。といったお話です。犯人も事実関係も明らかとなっているだけに、冒頭から提示されているように問題は動機の一点、かと思いきやそこにトリックを仕込んでいる手腕はさすがに巧みです。
 本作は昆虫好きの少年からの視点と、何とか少年から真相・動機を聞き出そうとする家裁調査官・森本の視点とが交互に語られます。少年の視点からは、昆虫の薀蓄(特に擬態について)と思春期のいじめにあいやすい少年のデリケートな心理が語られています。昆虫の擬態についての薀蓄とミステリの相性の良さには特筆すべきものがあります。一方、森本の視点からは彼の趣味である音楽についての薀蓄を絡めながら少年犯罪についての見識が語られます。リチェルカーレ、カノン、フーガ。そうした音楽の構成・技巧はやはりミステリの構成・読み方のも通じるものがあります。
 そうした昆虫や音楽についての知識・薀蓄が少年犯罪という接点によって互いにフィードバックし合うことによって、ミステリの構成・読み方といったメカニズムの面白さを引き出しています。このように、本作は単体のミステリとして面白いのはもちろんのこと、ミステリの読み方・面白さといったものも描き出しているという意味において非常に価値のある作品だと思います。つまり、本作を読むことによって、他のミステリ作品をより深く、より楽しく読まれることが期待できると思うのです。
 ミステリなんてどれも同じとか、一回読めば再読する必要はない、などと思ってる方がもしいたら是非読んで欲しい逸品です。

シンリガクの実験

 要するに僕は、自分の心よりも他人の心の中に住むのが好きな子供だったということである。僕には〈自分〉というものがなかった。何か出来事が起こると、自分がそれをどう思うかではなく、あいつは、あの子は、あの大人はこれを一体どう思っているのだろうかと、そればかりを想像していた。
(本書p238より)

 自分が大人びた子供だということを自覚している子供の”シンリガク”の実験。シンリガクは”心理”なのはもちろんのこと”真理”でもあるのでしょう。「五声のリチェルカーレ」では扱われなかった優等生タイプの子供の視点から描かれているのが一冊の本として面白いです。一種の倒叙ミステリですが、あくまでも普通の(?)子供時代を描いているのに好感が持てます。”実験”の本当の意味が明らかになる結末も印象に残ります。短編ミステリの傑作と評価してよいと思います。