『王狼たちの戦旗1〜5―氷と炎の歌〈2〉』(ジョージ・R.R.マーティン/ハヤカワ文庫)

王狼たちの戦旗〈1〉―氷と炎の歌〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

王狼たちの戦旗〈1〉―氷と炎の歌〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

”神々はいらっしゃる”彼女は自分にいい聞かせた。”そして、真の騎士もいる。すべての物語が嘘であるはずがない”
(4巻p294より)

 本シリーズは複数人物からの多視点によって描かれる群像劇ですが、1作目『七王国の玉座』から2作目『王狼たちの戦旗』を迎えるにあたって、失われてしまった視点もあれば新たに加えられた視点もあります。
 多面的な物語を描くことができるのが多視点多元描写の効果です。加えて、5巻巻末の解説でも述べられているとおり、本作の視点描写は特定のキャラクターに肩入れすることのないテレビカメラのような視点を連想させますが、それもまた一人のキャラクターの視点に頼らないことによって得られる効果だといえるでしょう。
 そんな多視点描写が採用されている本作ですが、視点として選ばれている人物に着目してみますと、そのほとんどが”弱い人物”であることに気づかされます。女性、子供、私生児、半身不随、発育不全の”小鬼”。本作で新たに視点人物として加えられたダヴォスとシオンは戦士ではありますが、ダヴォスは過去に負い目を持つ騎士ですし、シオンにしても幼少の頃をスターク家の捕虜として過ごしてきました。虐げられ迫害される者たちの物語。
 本シリーズは壮大な異世界歴史物語ではありますが、視点として選ばれている人物の大半は、七王国の歴史において名のない存在として終わることはないでしょうが、少なくとも現時点においては、玉座を手に入れて歴史を作る人物ではなく、やがて作られるであろう歴史の中を生きた人物として語れるであろう者たちが選ばれています。そうした選択は、異世界歴史物語を上からのカメラワーク的な観点で捉えるのみならず、その世界に生きる人物たちの存在があってこそという下方からも重層的に表現しようという意図の表れてはないかと思います。
 ただし、”ドラゴンの母”デーナリスは、先のことはまったく分かりませんが、もしかしたら玉座を手に入れることがあるかもしれません。ドラゴンのみならず、本作では魔術といった存在がいよいよ前面に出てきてファンタジー世界としての側面も徐々に強くなってきています。ドラゴンや魔術といった超自然の力は確かに強大で、それを求め行使して暗躍する人物がいます。その一方で、本作における超自然な力の存在といものは、決して全面的に肯定されてるものではありません。得体の知れないものに頼るのではなく、己の信じる力によって民を治め運命を切り開かんとする意志。そんな魔術的存在と対峙すると陰惨な殺戮劇や宮廷内の疑心暗鬼すら自然なものとして受け入れられるように感じます。超自然的存在は決して幻想的な世界を描くために取り入れられたものではないということでしょう。そんな両者の狭間(あるいは間隙)にあるのが宗教です。本作1巻巻末の解説でも触れられていますが、本シリーズにおいて神・宗教が今後どのように描かれていくのかは確かに興味深いです。
 ”氷と炎の歌”。陰陽(陰陽 - Wikipedia)を想起させるそれはどんな歌なのか。そして本シリーズはどのような物語を紡いでいくのか。続きを(文庫で)読むのが楽しみです。
【関連】『七王国の玉座1〜5―氷と炎の歌〈1〉』(ジョージ・R.R.マーティン/ハヤカワ文庫) - 三軒茶屋 別館

王狼たちの戦旗〈2〉―氷と炎の歌〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

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王狼たちの戦旗〈3〉―氷と炎の歌〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

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王狼たちの戦旗〈4〉―氷と炎の歌〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

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王狼たちの戦旗〈5〉―氷と炎の歌〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

王狼たちの戦旗〈5〉―氷と炎の歌〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)