『彷徨える艦隊 旗艦ドーントレス』(ジャック・キャンベル/ハヤカワ文庫)

彷徨える艦隊 旗艦ドーントレス (ハヤカワ文庫SF)

彷徨える艦隊 旗艦ドーントレス (ハヤカワ文庫SF)

 救命ポッドの冷凍睡眠による100年の眠りからギアリー大佐が覚めてみれば、なんと我が身を盾に味方を脱出させた英雄として祭り上げられていた。しかも、自軍は敵星系の真っ只中にあって満身創痍。ギアリーは司令官としてアライアンス艦隊を故郷へと帰還させる任務を背負うことになるが……というようなお話です。
 銀英伝ファンの私が本書のあらすじを読んで真っ先に思いついたのはエル・ファシル脱出行です(笑)。いや、もちろん民間人の脱出が主任務のエル・ファシル脱出行と艦隊が帰還が主任務の本書とでは規模も目的も違う以上、戦術や戦略もまったく異なります。ただ、本書と銀英伝にはかなり共通する楽しみ方があるのも確かです。
 主人公のギアリー大佐は特別に博学な人物というわけではありません。ただ、100年前の人間であるがゆえに100年前の知識や戦術・戦略には当然のことながらとても詳しいです。なので、自然とヤン・ウェンリーみたいに戦史学者のようなスタンスに立って物事を考えるようになってしまいます。100年という年月は、科学技術を発展とそれによる兵器開発をもたらしています。それゆえに、ギアリー大佐には知らないことと分からないことだらけです。反面、それは現代の人間にとって盲点となる思考を持ち合わせているということでもあって、それを基にとりあえずの窮地を脱していきます。
 歴史学者としての側面だけでなく、英雄として祭り上げられている自らの”偶像”に苦しめられるという姿もヤン・ウェンリーと共通のものがあります。いや、むしろヤンよりも深刻です。
 自らのあずかり知らぬところで軍神”ブラック・ジャック”ギアリーとして祭り上げられた結果、彼の名前は軍そのもののシンボルにまでなってしまっています。彼が艦長たちにその行動の理由を訊ねても、「”ブラック・ジャック”ギアリーならこうする、と教わってきた」と答えられる始末です。こうした会話自体は喜劇的ですが、迎えている事態は悲劇的です。過去の人間としての孤独な自分。課せられた任務に対する責任に押しつぶされそうになる自分。しかし、艦隊の秩序を維持し部下たちの士気を鼓舞するためには弱さを見せるわけにはいきません。どんなに疎ましくとも”ブラック・ジャック”ギアリーを殺してしまうわけにはいきません。
 その一方で、”ブラック・ジャック”ギアリーという英雄を作り上げることへの危険性も描かれています。アライアンス艦隊には同盟国・カラス共和星系の艦隊も同行しているのですが、その国の副大統領リオーネは、ギアリーが任務を達成した場合の”ブラック・ジャック”ギアリーの存在の大きさを懸念します。その懸念は銀英伝においてトリューニヒトやレベロといったヤンの政敵が彼に抱いたものと同じです。そうした英雄像に対する矛盾した思惑がギアリーの葛藤にもなります。
 100年という年月は、科学技術を進歩させた反面、社会制度を疲弊させ人的資源も低下させました。総力戦に次ぐ総力戦の日々は、軍全体の低年齢化を促進させていきます。その結果、モラルの悪化・思考の硬直化・用兵術の劣化という事態を招いています。その時代を生きている人間には気づくことのできない問題ですが、過去の人間であるギアリーにとっては深刻な問題です。戦争法の意義を回復させ、兵士たちの意識改革を促し、用兵術を叩き込んでいきます。特に、100年前の艦隊戦術を艦長たちに教え込み、それに基づいた戦闘が行なわれるシーンなどは、銀英伝ファンならかなり楽しめることでしょう(銀英伝では書き込みの弱かった艦隊戦における指揮官と将官の連携の様子が描かれているのが個人的にかなりツボでした)。
 以上、銀英伝ファンの視点ばかりから本書について語ってしまいましたが、別に銀英伝を読んでなくても本書は十分楽しめるでしょう。本書の解説者である鷹見一幸は、〈ホーンブロワー〉や〈シーフォート〉といった海洋冒険小説、あるいはスペースオペラの古典的傑作〈レンズマン〉シリーズなどを引き合いに出して本書の魅力・読み方を語っています。生憎と私はそれらの作品を読んだことはまったくないのですが(コラコラ)、それでも本書はとても楽しく読むことができました。多面的な読み方に耐え得る作品なのです。
 本書では主として艦隊戦(逃げたり補給したりを含めて)が描かれていますが、随所にSF的な伏線も用意されています。この伏線の活かされ方次第ではSFとしても傑作になる可能性があります。艦隊内での微妙な人間関係の行方も気になりますし、是非シリーズものとして順調に刊行されていくことを切に希望します(笑)。
【関連】『彷徨える艦隊2 特務戦隊フュリアス』(ジャック・キャンベル/ハヤカワ文庫) - 三軒茶屋 別館