『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 8』(入間人間/電撃文庫)

 どうでもいいのだ、僕の世界にいる人以外が傷つくことは。どうなんだろう、世間の言う普通の人って、そういう無関係な蹂躙に対して心を痛めたり砕いたりしないといけないのかな。
(本書p59より)

 これは、僕とまーちゃんの平穏無事で素敵なバカンスだ。嘘じゃない……よな?というのは本書カバーに書いてある文句ですが、確かに嘘ではありません。が、しかし(苦笑)。
 本書ではこれまでのシリーズにない趣向が凝らされています。まず、本書では群像劇形式(参考:グランドホテル方式 - Wikipedia)が採用されています。みーくんとまーちゃんが9月の5連休を利用してバカンスに訪れたホテル。そのホテルに様々な理由で集まった様々な人々。それらの人物の視点が交互に切り替わって物語が進行していきます。7巻で視点人物の入れ替わりというシリーズものにしては大胆な試みがなされていましたが、本書はそれがさらに進められた格好になっているわけです。
 物語が進行するリズム・テンポも少々変わっています。本書では視点人物が切り替わるごとにその時刻が午後1時10分、午後2時などといったように明確に記されています。さらに、視点が切り替わったにもかかわらず時間が進んでいない場合もあります。視点を切り替えることによってサスペンス性を維持しながらも、小説のお約束である時間の省略といったものをなるべく排除しようとしています。本シリーズらしいひねくれた趣向です。しかも本書はまさかの500ページ超えです(あとがき込みで543ページ)。人によっては小説内の経過時間よりも読むのに時間がかかるかもしれませんが、そうした可能性がある本というのも意外に珍しいのではないかと思います。
 さらに、これが本書においてもっとも意外性のある趣向だと思われますが、ホテル内で生じる出来事について、みーくんとまーちゃんが関わってこないのです。それでいて別シリーズである『電波女と青春男』に出てくる人物の名前が出てきたりします。シリーズの名前を冠してこのような作品を出すことについて、実のところ私としては少々疑問を感じずにはいられません。ただ、みーくんとまーちゃんあるところに事件あり、というミステリ的お約束体質あるいは非日常的日常をシリーズを通して散々描いてきたからこそ、たまにはこうした日常的非日常を描くことにも一定の異議はある、と理解できなくはないです。もっとも、次巻以降で何らかの関連性が生じる可能性は否定できませんが、しかし、それをやってしまうと本書の特異性が失われてしまうので、おそらくそれはないような気がします。いや、分かりませんけどね(笑)。
 ちなみに、本書を読んで思い起こしたのが筒井康隆『虚人たち』です。『虚人たち』は、「人物」「時間」「事件」について従来の小説のお約束を逆手に取ったメタ小説です。本書はそこまで先鋭的な試みがなされているわけではありませんが、問題意識としては共通するものがあるように思うので、ご参考まで。
【プチ書評】 1巻 2巻 3巻 4巻 5巻 6巻 7巻 9巻 10巻 短編集『i』

虚人たち (中公文庫)

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