『グラーグ57』(トム・ロブ・スミス/新潮文庫)

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)

グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)

グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)

 「グラーグ」とは、旧ソ連、とくにスターリン時代の悪名高い収容所の一大ネットワークのことだ。もともとは収容所を管理する役所の名称だったのだが、やがてソ連全土に群島のようにちらばった無数の収容所全体を、そして収容所の悲惨な生活そのものを示す言葉として広く使われるようになった。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2006/10/20061015ddm015070148000c.htmlより)

 前作『チャイルド44』の事件から3年。レオ・デミトフは念願のモスクワ殺人課を創設したものの、フルシチョフによるスターリン批判によって国家体制は揺らぎをみせていた。また、家庭において決して心を開こうとしない養女ゾーヤとの関係にも苦慮していた。そんな中、かつてレオが秘密警察の任務についていた頃に投獄した人物が、復讐者として捜査官や密告者に襲い掛かる。その魔手はついにレオとその家族にも向けられる……。といったお話です。
 個人的な好みからいわせてもらうと、せっかく念願の殺人課を創設できたのですから、そこでの活躍をまずは見たかったです。もちろん、レオ自身は殺人課という仕事に誇りを持っていますし、だからこそ本書の結末があります。それは、国家から強制される真実がまずあって、それを補強するための事実のみを見つけ出しときには捏造するのではなく、事実の積み重ねによって「本当の真実」を見つけ出すという、秘密警察の頃とはまったく異なるプロセスを経る仕事です。それは、国家があっての個人ではなく個人あっての国家なのだという、国家についての価値観の根本に関わる大事なメルクマールです。
 それが許されないくらいにレオの周りが、歴史の流れが大きく動いてしまったということはいえるでしょう。フルシチョフ(参考:ニキータ・フルシチョフ - Wikipedia)によるスターリン批判によって、ソ連の政治体制は極めて不安定なものとなります。そうなると、それまで非主流派であったレオたちにようやく日の目が当たるのではないかと思いきや、そんなことはまったくないのが辛いところです。その一方で、従来の国家体制を支えてきた人間としての責めも感じずにはいられません。もっとも、それは彼が変わったからこそですが。
 前作でレオとライーサの養子として迎えられながら、レオには決して心を開こうとしないゾーヤ。人は生まれてくる国家を選ぶことはできませんが、生まれてくる家庭もまた選ぶことは出来ません。しかも、ゾーヤはレオによって一度家庭を奪われています。レオとゾーヤという親子の関係は、明らかに国家と国民の関係とに同期して描かれています。
 曖昧で恣意的な国家の”思想”に基づく体制によって翻弄される民衆。凍てつくシベリアの地で虐げられてきた収容者。そして、ハンガリー動乱(参考:ハンガリー動乱 - Wikipedia)によって燃え盛るブタペスト。正義とは何か?そんな問い掛けを嘲笑うかのごとく、本書ではたくさんの人が殺し殺されます。前作では死者は44という数字になりましたが、本書においては数字にすらなりません。
 フルシチョフによるスターリン批判やハンガリー動乱などのエピソードは歴史的事実でもありますので、ソ連という国家体制側の動きはとりあえず理解できます。ですが、レオが対決することになる犯罪者集団ヴォリの行動指針にいまひとつ説得力が感じられなくて、それがどうにも気にはなります。ですが、無数の裏切りの中での僅かな信頼のために、苦悩しながらも行動するレオの姿には、確かにページをめくる手を止めさせないだけの迫力があります。下巻の解説によれば、レオを主人公とする本シリーズは三部作で完結する予定とのことですが、レオとその家族がどのような運命を迎えることになるのか予想がつきません。続きが気になります。
【関連】『チャイルド44』(トム・ロブ・スミス/新潮文庫) - 三軒茶屋 別館