『鷺と雪』(北村薫/文春文庫)

鷺と雪 (文春文庫)

鷺と雪 (文春文庫)

「――身分があれば身分によって、思想があれば思想によって、宗教があれば宗教によって、国家があれば国家によって、人は自らを囲い、他を蔑し排撃する。そのように思えてなりません。そう思えば、所詮は自分自身が、全てを捨てて無となるしかない。」
(本書p74より)

 第141回直木賞受賞作にして〈ベッキーさん〉シリーズ3部作完結編です。
 「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、この言葉に倣えば、衣食が足りてる状況にあるからこそ描くことができる礼節もある、ということがいえるでしょう。本シリーズは上流社会の視点から昭和初期の時代を描いた連作ミステリですが、その時代の礼節と衣食を描くという意味で有意なものとなっています。それに、何だかんだで衣食住に困らない生活を過ごしている今の時代の人間からすれば、英子の視点から見る昭和こそが読者の共感が得られやすい風景だろうと思います。
 本書には、「不在の父」「獅子と地下鉄」「鷺と雪」の三篇が収録されています。それぞれ、神隠し(人間消失)、両家の少年の不可解な行動、ありえない写真といったミステリ的な謎がストーリーに取り込まれています。そうした謎はどれも昭和初期という時代や文化と密接に結びついています。なので、予備知識なしの推理だけでは判然としない点がどうしても生じてきます。アンフェアといえばアンフェアということになるのかもしれませんが、読んでてあまりそういう気にならないのは、やはり昭和初期という時代を丁寧に取材した上で、これまた丁寧に描いているからでしょう。ここでも世俗に疎い上流社会のお嬢様という視点が利いています。
 昭和初期という時代、昭和七年から始まるシリーズが着実に時を積み重ねながら進んでいくうちに、読者としてはやがて訪れる2月26日のそのときを想定せずにはいられません。上流社会の視点というのは、時代小説的な視点と、歴史小説的な視点があるとすれば、ちょうと中間レベルの視点だといえます。昭和初期の風景や世相や文化といった日常の中での謎を英子は解き明かそうとします。それは単に過去を振り返るだけのものではなくて、未来に向き合うための行動です。ミステリとは真実と合理性の文学です。上流社会の人間として恵まれた生活を送りながらも、ベッキーさんというスーパーウーマンに助けられながらも、様々な欺瞞や不条理に英子は抗います。
 日常のレベルで抗いながらも、その一方で、どうすることもできない時代の流れがあります。それは読者には否が応でも見えてしまうものですし、作中のベッキーさんと、彼女の思考を追う英子にも見えてしまうものです。いや、それは本当にどうすることもできないものなのでしょうか……? そんな時代小説的レベルと歴史小説的レベルとの二層構造が本書の面白さだといえます。そうした構造は、情報社会化が高度に発達したおかげでさまざまな事柄が見えるようになりながらも、それらについて具体的にどうすることもできず、目の前にある個々の日常を懸命に生きることで精一杯な今という時代にも重なってきます。

「どうか、こう申し上げることをお許しください。何事も――お出来になるのは、お嬢様なのです。明日の日を生きるお嬢様なのです」
(本書p260より)

 ミステリとしての合理と、時代小説としての取材と、歴史小説としての手順を丁寧に踏まえてきたからこそ、結末のエピソードが落着します。事実の奇をそのまま小説に落とし込んだ作品だといえます。シリーズ通してオススメです。
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楽天ブックス|著者インタビュー 北村薫さん『鷺と雪』
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