『”文学少女”見習いの、卒業。』(野村美月/ファミ通文庫)

“文学少女”見習いの、卒業。 (ファミ通文庫)

“文学少女”見習いの、卒業。 (ファミ通文庫)

 『私は淋しい人間です』――ということで、”文学少女”外伝の最後を飾る本書収録の長編『”文学少女”見習いの、寂寞。』のネタ本となっているのは夏目漱石『こころ』です。
 小中高と続く国語の授業において様々な小説が取り上げられますが、それらは正直言って内容的に無難なものばかりで、そんなこともあって国語の授業というのは退屈を覚える方も多かったと思います。そんな中にあって、この『こころ』は秘められた恋、三角関係、さらには登場人物の自殺というショッキングな内容ゆえに印象に残っている方も多いのではないでしょうか。
 『こころ』の登場人物の名前は、”K”や”私”や”先生”、”お嬢さん”などというように固有名詞があえて避けられています。こうした形式は虚構であるはずの物語に迫真性を与えると同時に読者の共感度を高める効果もあります。”文学少女”シリーズでは、作中の主人公――本編は心葉で外伝は菜乃といった視点から語られる本筋のストーリーの間に、”誰か”の視点からの太字の語りが挿入されるというスタイルが踏襲されています。それが誰なのかは物語が進むにつれて明らかとなるわけですが、誰かが明らかとならない段階においては、『こころ』と同じく読者の共感を高める作用を果たしているといえます。このように、”文学少女”と『こころ』とはもともと親和性が高い関係にあるといえます。
 そんな『こころ』が本作で存分に活かされているかといえば……実のところそうした観点からは少々不満が残ります。三角関係という人間関係自体が現実にも小説にもありふれた題材であることもさることながら、作中でも触れられているとおり、本書で語られている事件と『こころ』とでは明らかな違いがあって、しかも、その違いこそが『こころ』を『こころ』足らしめている重大な要素だからです。あと、前巻の衝撃的な引きが結局つかみだけで終わってしまってて、お話的にほとんど絡んでこなかったのは拍子抜けだったのもちょっぴり残念でした。
 ただ、そもそも本書のネタ本が『こころ』なのかといえば、私的には違うといわざるを得ません。本書の本当のネタ本は、他でもない”文学少女”本編です。『青空に似ている』を起点とした想像と現実の往還、呼び起こされる過ぎ去った物語と未来へ広がる可能性の物語。そんな重層性こそが”文学少女”シリーズの本領なわけですが、本作はまさにその集大成だといえるでしょう。
 『ある日のななせ』はタイトルどおりななせ視点の短編ですが、作者がフォローしようとすればするほど、ななせの不憫さが際立つように思うのは私の気のせいでしょうか(笑)。
 そして『”文学少女”見習いの、卒業。』のネタ本とされているのはチェーホフの『桜の園*1ではありますが、本当のネタ本はやはり”文学少女”本編でしょう。”文学少女”本編の結末と、本作とのそれを照らし合わせると非常に感慨深いものがあります。
 名作文学への依存度が低くなったということは、本シリーズの終わりがいよいよ近づいてきたということなのだと思います。「活字倶楽部」2010年春号収録の野村美月インタビューによれば、挿話集は4まで。そして『”文学少女”見習いの、卒業。』の最後に予告されている外伝のようなお話、すなわち『半熟作家と”文学少女”な編集者』で本シリーズはおしまいということになります。もうちょっとだけ続く”文学少女”の物語を楽しみにしたいと思います。
こころ (集英社文庫)

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青空文庫:『こころ』
桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

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青空文庫:『桜の園』(神西清・訳)
活字倶楽部 2010年 06月号 [雑誌]

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