『いわゆる天使の文化祭』(似鳥鶏/創元推理文庫)

いわゆる天使の文化祭 (創元推理文庫)

いわゆる天使の文化祭 (創元推理文庫)

 そして僕自身だって、知らないうちにそれらの無数の事件の、どれかの登場人物になっているかもしれないのだ。僕自身が気付いていないだけで、実は僕の何気ない行為が、誰かの事件に重大な影響を及ぼしている可能性もある。願わくは、善玉として登場していますように。
(本書p325より)

 学校が文化祭の準備で慌しい夏休みの後半。生徒たちが登校すると校内の様々な場所に目つきの悪いピンク色のペンギンとも天使ともつかないイラストが描かれた張り紙が貼られていた。いったい誰が何のために? 単なるいたずらか、それとも……? さらに、化学準備室で何者かが勝手に劇物の棚を開けるという事件も起きる。葉山と柳瀬は文化祭を守るため捜査を始めるが……といったお話です。
 前作『まもなく電車が出現します』のオビには「にわか高校生探偵団の事件簿」とあったので、そちらがてっきりシリーズ名かと思っていたのですが、本書のオビや裏表紙には「コミカルな学園ミステリ・シリーズ」となってます。なんとも安直で情緒のないシリーズ名です。もうちょっと考えましょうよ(笑)。
 とはいえ、「にわか高校生探偵団の事件簿」というシリーズ名が黒歴史(?)になったのは理解できます。というのもこのシリーズは物語内の時間が確実に進んでいるからです。シリーズ1巻で探偵役を務めていた三年生の伊神は2巻で卒業。それに伴いシリーズ1巻でワトソン役を勤めていた葉山は2巻以降、単なるワトソン役からの脱却を見せることになるのはシリーズ既読の方には周知のことでしょう。探偵役―ワトソン役というミステリ的役割の観点から人間関係を単純化して整理しますと、1巻の時点では探偵役:伊神―ワトソン役:葉山(と柳瀬)だったものが、本書の時点では探偵役:伊神―探偵役+ワトソン役:葉山―ワトソン役:柳瀬ということになるでしょうか。このような時間の経過に伴う「キャラクタの役割の変化と成長」が本シリーズの要点のひとつです。であるならば、「にわか」というのはシリーズの実態にそぐわない表現なわけです。そもそも、伊神は卒業しちゃってるので「高校生」じゃありませんしね(苦笑)。
 ただ、こうした役割というのは、とある物語という限られた枠組みでの画一的なものに過ぎません。葉山の視点からは葉山がワトソン役だったりしても、他の人物の視点からの他の物語ではどのように描かれているかはわかりません。……というわけで、本書ではAパートとBパートというパート分けの趣向が用いられています。すなわち、従来どおり葉山の視点が中心のAパートと、運動神経がよくて好奇心旺盛な吹奏楽部一年生・蜷川奏(通称カナ)の視点が中心のBパートとに本書は分かれています。新キャラの視点の導入によって、これまでとは違った葉山や伊神といった人物の評価や見方や反応といったものを読者は知ることができます。ただ、このパート分けには実はそれ以上の意味が……ゲフンゲフン。あまりネタバレになるようなことはいえないのですが、この仕掛けは、これまでのシリーズで一貫している「キャラクタの役割の変化と成長」を表現するための趣向として有意なものであるということは指摘しておきます。
 作中の委員長のセリフではないですが、文化祭というのは意外な人間の意外な側面が見られるイベントです。また、上級生と下級生、先生や生徒といった縦の関係を意識させられるイベントでもあります。好むと好まざるとに関わらず、成長や変化のきっかけとしては貴重なイベントです。そんなイベントの開催を妨げる幾多の事件の発生。一年に一回の行事ですが、一方で大事故の発生は未然に防がなくてはなりません。コミカルで微笑ましい関係があれこれ描かれつつも、こなさなければならないミッションはタイムリミット付きのシリアスなものです。ただ、そうした犯人探しは、それぞれの物語においてそれぞれの主役であることを確認する側面もあったりします。
 ミステリとしての面白さとキャラクタ小説としての楽しさのバランスが絶妙です。シリーズ未読の方には少々厳しいかもしれませんが、それでも楽しめないことはないと思ったり。それくらい多くの方にオススメしたい一冊です。
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