『黒と白の殺意』(水原秀策/宝島社文庫)

黒と白の殺意 (宝島社文庫)

黒と白の殺意 (宝島社文庫)

 囲碁界を舞台にしたミステリです。もっとも、確かに殺人事件が発生して犯人は誰だ?ということに一応なりますけれど、その事件にトリックが使われてるわけでもなければ推理の手がかりとなるような証拠の開示が特にあるわけでもなくて、犯人当てという推理ゲームとしての面白さはほとんどありません。
 殺人事件によって囲碁界を巻き込むことになる世間の常識。図らずもそれと比較することで明らかとされる囲碁界と囲碁棋士の特殊性。あるいは、事件の背景を考える過程で浮かび上がってくる現代の囲碁事情とその問題点などなど。そうした囲碁の世界について読者が分かりやすく接することができるように描かれています。本書はミステリを出汁にした囲碁小説です。なので、たとえミステリとして駄作であったとしても何の問題もありません(笑)。
 そもそも、水原秀策という筆名自体、江戸時代の棋士本因坊秀策が由来なのは明らかですし、巻末の竹本健治の解説によれば、筆者はアマ四段の腕前だとか。実際それくらいの棋力はあるだろうなぁと思わされるほど、本書での囲碁の描写は冴え渡っています*1。圧巻なのは物語終盤での弓彦対蒲生の対局なのは論を待たないところでしょうが、個人的には対朴漢乗戦も印象に残っています。この展開をサラリと書けてしまうところが筆者が囲碁に明るい証であるとともに、世界の囲碁界における日本の位置というものを如実に表しているものだともいえるのでしょうね。いや、私は将棋ファンなので囲碁にはそんなに詳しくもなければ関心もないのですが(汗)、それでも国際棋戦での日本の棋士の不甲斐なさには納得いかないものを感じています。もう少し日本の棋士が活躍してくれれば囲碁の方も注目する気になるのですが……。
 閑話休題です。本書では、殺人事件に絡んで「日本囲碁協会」という団体の暗部が描かれていますが、これは竹本健治の解説にもあるとおり架空の団体です。現実の日本の囲碁の団体は「日本棋院」や「関西棋院」です。ただ、だからといって現実の囲碁団体に作中のような経営面を始めとする問題がないわけではありません。公益法人制度改革(参考:公益法人制度改革 - Wikipedia)に対応するための取り組みが急務なのは間違いありませんし、日本の総人口が減少していくなかで囲碁ファンをいかに確保し、棋士の活躍の場を維持していくのかという問題もあることでしょう。
 そうはいっても、やはり組織よりは人の方に作品の重点は置かれています。主人公である椎名弓彦のハードボイルド風の一人称描写は、囲碁棋士の対局心理を程よい距離感で語ってくれています。しかし、誰よりも存在感を発揮しているのは弓彦の師・蒲生謙吾でしょう。解説でも触れられているとおり、この人物には藤沢秀行(参考:藤沢秀行 - Wikipedia)というモデルがいます。作中ではとんでもない破天荒な人物として描かれていますが、実物も負けず劣らずの傑物です(笑)。
 囲碁を題材とした珍しい小説として興味のある方にはオススメしたい一冊です。

*1:もっとも、最初の数ページのわざとらしい言葉の使い方にはヒヤヒヤしましたが(笑)。