『将棋殺人事件』(竹本健治/創元推理文庫)

 本書は、『囲碁殺人事件』『トランプ殺人事件』と並ぶゲーム三部作の中の一作という位置付けではあります。ただ、この三部作は単にそれぞれゲームが題材というのが共通点なだけで、ストーリー的なつながりは一切ないので本書だけ読んでも何の問題もありませんし、他の作品を読んだところで本書についての理解が深まるということもほとんどありません(もっとも、シリーズものとして主要な登場人物は同一なので、キャラクタへの愛着は数作読んだ方が深まりますが)。
 本書は『将棋殺人事件』というタイトルですが、あとがきで作者自身が語っているように、指将棋ではなく詰将棋がメインです。従いまして、本来なら詰将棋殺人事件とすべきなのでしょうが、それだとゲーム三部作としての統一感に欠けますし、何より詰将棋殺人事件には前例がありますからね(笑)。
 本書で題材となっているのは、詰将棋と都市伝説です。
 詰将棋については、本書ではその歴史的意義から定義・ルールまでかなり詳細に解説されています。その厳密さ足るや専門書もかくやというレベルです。本書で述べられている詰将棋における解法の規則と成立条件は次のようなものとされています。
●解法の規則

1 駒と盤に関する規則は指将棋の規則を適用する。
2 詰め方の手番からはじめ、王手の連続によって詰めなければならない。
3 詰め方は最短手数になるように詰めなければならない。
4 王方は必ず王手をはずす形をとり、最長手数になるように応手しなければならない。
5 王方は残り駒すべてを合駒として使用することができる。ただし、手数をのばすためだけの無意味な合駒をしてはならない。
6 千日手は詰め方の失敗とする。
(本書p27より)

●成立条件

1 詰が存在する。
2 詰手順は唯一である。
3 詰上がりにおいて詰め方の持駒が余らない。
(本書p27より)

 成立条件に反したものは、それぞれ「不詰」、「余詰」、「駒余り」と呼ばれます。詰将棋についての基本的な説明はされているので、初心者でも大丈夫……かどうかは正直不安でして、それくらい本書は詰将棋について踏み込んだ内容となっています。こうしたルールによる縛りはミステリ読みとしてもなんとなく共感と親しみを覚えるものがあります(もっとも、いくらミステリにはフェアプレイが大事だといってもここまでの縛りはありませんが)。
 また、作中にも昔の大道詰将棋の作品から、本書の解説を努めている若島正(文芸評論家・翻訳家にして詰将棋作家)の作品など多数の詰将棋が登場します。それらの作品が物語と深く関わっているのが本書の大きな特徴です。ちなみに、せっかくなので本書に登場する詰将棋の中から大道詰将棋のものとされている作品を紹介しましょう。

 これは詰め方の持ち駒が香と歩だけです。このような作品を香歩問題と呼びます(ちなみにこの詰将棋、一見簡単そうに見えますが実は相手の合駒に妙手があってものすごく難しいです)。
 また、こうした詰将棋作品のみならず、詰将棋の創作過程も物語と密接に関係しています。本書では事件の関係者として詰将棋雑誌の編集者も登場するのですが、彼のもとに盗作と思われる詰将棋作品が送られてきます。これだけならまだしも、そのオリジナルと思しき作品の作者と思われる人物もまた不可解な行動をとることで、物語は混迷を深めていきます。詰将棋の創作方法に、過去の作品の手筋を発想のヒントとして、手順を構成しなおしたり、別の手筋と組み合わせたりする手法をモンタージュ法と呼ぶそうですが、どこからどこまでが別の作品で、どこからどこまでが類似作なのかというのは、確かにとても難しい問題です。
 一方、都市伝説として問題になるのは、六本木界隈に蔓延する奇怪な噂「恐怖の問題」です。単なる都市伝説であればそんなに深刻にならずともよいのですが、本書の場合、その伝説と似たような状況から二つの死体が発見されてしまいます。こうなると放置しておくわけにはいきません。そこで、都市伝説の原型を追求することで事件の真相を突き止めようと登場人物たちが動き始めます。詰将棋であれば盤上には無駄な駒が一切ありませんが、都市伝説だと、その元となったお話に枝葉がついてて、それこそ無駄な駒ばかりです。そうした中から地道な調査によって無駄な駒を取り除き、解答可能な問題となるように解析する必要があります。上述した詰将棋の創作方法であるモンダージュ法を逆算するかのような作業です。こうした作業過程において、どうしたわけか詰将棋にまつわるエピソードが次々と現れることから登場人物たちはとまどいを隠せなくなります。いったいこれは何なのか? 偶然? それとも必然? 正直、真相そのものは脱力系ではありますが(まさに煙詰)、よくもまあこんなに複雑なプロットの物語を描き切ったものだと、妙に感心してしまいます(笑)。
 ちなみに、本書はそもそも1981年に刊行されました。まだパソコンではなくマイコンが主流だった時代です(さすがにマイコン表記はパソコンに修正されています)。したがいまして、現在からすると少々古い認識のままの箇所も散見されます。作中では詰将棋の解法はコンピュータより人間の方が上とされていますが、現在では詰みの有無の判断については人間はコンピュータの足元にも及びません。プロが発見できなかった詰み筋をコンピュータが発見するというのも珍しくありませんし、詰将棋の創作においても余詰の検討でコンピュータを使われている方が多数おられることでしょう。また、プロ棋士を対象とした脳科学の研究も、日本将棋連盟自身が積極的に行なっています(参考:「将棋における脳内活動の探索研究」の開始将棋思考プロセス研究プロジェクト、脳研究協力棋士募集)。ただ、こうした時代の変化の中にあっても、作中に収録されている詰将棋作品の価値は何ら揺らぐものででありません。そこが詰将棋の素晴らしいところだと思います。
【関連】『王様殺人事件』(伊藤果・吉村達也/MYCOM将棋文庫SP)