テレビドラマ『相棒』7thシーズン第6話「希望の終盤」の将棋ヲタ的感想

 2008年11月26日に放送されたテレビドラマ『相棒』7thシーズン第6話「希望の終盤」が将棋を題材としたお話だったので(久保八段と水谷豊の対談がきっかけらしいです)、将棋ヲタ的観点からの感想をつらつらと語ってみたいと思います。
 ちなみに、ストーリーはこんな感じでした。

 将棋のタイトル戦を戦っていた棋士・西片(水橋研二)の遺体が最終局の朝に発見された。ひどく荒らされた西片の部屋を調べた右京(水谷豊)と薫(寺脇康文)は、犯人が将棋に詳しい人間ではないか、と疑いを抱く。事件当夜、賭け将棋で生活する真剣師・大野木(松田賢二)が西片を訪ねてきていたことがわかった。大野木はプロ棋士の養成機関・奨励会で西片と同期。将棋の観戦記者・畑(蟹江一平)も2人と同期だった。タイトル戦の裏に一体何が?チェスだけでなく将棋にも精通している右京の名推理ぶりは必見!
『相棒7』第6話「希望の終盤」より

 いみじくも竜王戦第4局の1日目が行なわれたこの日に放送されたというタイミングがすごいと思いますが(笑)、立会人の名前が里見二三一九段だったりと(笑)、細かいところにも気が配られていて、将棋ヲタ的になかなか楽しめるお話でした。
(以下ネタバレを含んでますのでご注意を。)

日本将棋連盟全面協力

 撮影は日本将棋連盟の協力の下、実在の日本将棋会館も出てきましたし、将棋の監修も金井恒太四段・伊藤真吾四段のプロ棋士が行なっていました(【参考】竜王戦中継plus : 相棒)。将棋監修の二人はチョイ役として出演していたらしいのですが、見ていて気が付きませんでした。いったいどんな場面だったのでしょうね?(笑)

二歩

 「二歩」とは、同じ縦の筋に二つ歩を並べて打つ禁じ手・反則のことです。タイトル戦である竜馬戦の第一局は挑戦者・西方名人の二歩による反則負けという前代未聞の決着となりました。それがこの盤面です。

 ちなみに、この将棋には元ネタがあります。2004年に放送されたNHKテレビ将棋トーナメントの豊川対田村戦の将棋がそれです。
将棋の棋譜でーたべーす:豊川対田村戦
 『トリビアの泉』をはじめいろんなテレビ番組で紹介されたりもしているのでご存知の方もいらっしゃるでしょうが、これだけ注目されて何度も使われてるのですから、反則をした豊川六段も本望(?)かもしれませんね(笑)。

扇子事件

 作中、村田竜馬が挑戦者の西方名人の部屋を訪ねていますが、その理由が「扇子」です。これにはモデルとなったと思われる事件が実際にあります。2007年に行なわれた名人戦第1局です。
名人戦第1局1日目 「扇子の音」で異例の中断 - 勝手に将棋トピックス
 将棋は頭脳戦ではありますが、作中でも述べられていた通り人間同士の戦いなので、そこには神経戦と心理戦の側面もあります。そうした心の機微に触れるのも将棋を観戦する楽しみ方のひとつです。

奨励会

 奨励会はプロ棋士の養成機関です。そこでの厳しい競争を勝ち抜いた者だけがプロの棋士となることができます。奨励会を突破する最後の関門が三段リーグですが、三段リーグには26歳までという年齢制限があります。ただし、三段リーグで勝ち越しを続ければ29歳まで在籍することができます(【参考】新進棋士奨励会 - Wikipedia)。
 29歳のプロ棋士自体が異例中の異例ですが、そこから名人になるというのは正直考えられません。もし実現したら極めて異例としかいえません。もっとも、今の将棋界はいわゆる”羽生世代”と呼ばれる30台後半の世代が幅を利かせていますから、まったくあり得ないということもありませんけどね。
 ちなみに、プロになってから名人になるには、C級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級といったピラミッド構造のリーグ戦を駆け上がる必要があります。各組を勝ち上がるのには1年かかりA級を勝ち抜いた後も名人戦7番勝負に勝たなければ名人になることはできません。つまり、名人になるには最短で約5年半かかるのです。作中の西方名人がプロになったのは6年前とのことですから、ほぼ最短で名人になっている計算です。これはもう凄いとしか言い様がありません。

事件の真相と「米長哲学」

 自殺を殺人に見せかけた偽装工作。それが事件の真相でした。自殺の動機は、6年前の三段リーグ終戦での「片八百(かたやお)」を苦にしてのものでした。将棋界にはいわゆる「米長哲学」と呼ばれるものが浸透しています。

「自分にとって消化試合でも相手にとって重要な対局のときは相手を全力で負かす」
米長邦雄 - Wikipediaより

 自分にとっては消化試合だけど目の前の相手にとっては重要な対局の場合、わざと負けて上げれば目の前の対戦相手は喜ぶかもしれません。しかし、その競争相手には何と申し開きすればよいのでしょうか。そもそも勝負の世界を生きる者として、その厳しさから逃げたり汚したりするような行いは許されないでしょう。そんなわけで、そうした対局で手を抜くことはプロ棋士には許されませんし、周囲もまたそういう目でその将棋を見つめます*1
 そうした世界で生きているからこそ、片八百でプロになり最高峰のタイトル戦を極めようとしている自分自身を許せなかった、ということなのでしょう。また、一方で片八百だと思われていた大野木も実は必死に指していたというのも同じです。

杉下「自分の人生を読みすぎて読み違えてしまったのかもしれません」

 死ぬ必要のなかった西方の死を右京はこのように評しました。私は、西方の自殺はあたかも故意に打った二歩のようなものだと思います。それはする必要のない無意味な反則で、結果として勝負の世界を汚すことになってしまいました。どんな苦境にあっても曲げてはならないルールがあると、そんなことを考えました。



 余談ですが、作中に名人の携帯履歴を消去するシーンがあったので、それにちなんでこちらの記事をご紹介。

後藤「どこかで羽生さんは携帯電話を持っていないと聞いたんですが、本当ですか?」
羽生「ははは、ええ。携帯電話持ってないです」
来ました - お仕事ブログより

 携帯を持たない理由はさまざまだと思いますが、ひとつには、対局中に携帯で何かを確認しているように思われるのが嫌だというのもあるんじゃないかと思ってますが、私の考えすぎでしょうかね?(笑)
【参考】竜王戦中継plus : 【質問】 

*1:余談ですが、羽生善治などは過去に幾人もの棋士をA級リーグから叩き落しているために、”A級の死刑執行人”あるいは”死神”などと某巨大掲示板では呼ばれてます。それも勝負師としての勲章なのです。