石井宏『誰がヴァイオリンを殺したか』新潮社

誰がヴァイオリンを殺したか

誰がヴァイオリンを殺したか

音楽評論家・石井宏によるヴァイオリンについての評論です。
本作では、主に2つの「神話」について語られています。
一つ目は、銘器ストラディヴァーリストラディヴァリウス)。
クラシックをかじったことがある人なら必ず耳にする、何億もするまさに「宝石」とも呼べるこのヴァイオリンですが、作者は本書でまずこの楽器の歴史について語り、そしてその「神話」に対しメスを入れます。

何億円というクレモーナのヴァイオリン(フジモリ註:ストラディヴァリウスのことです)は、音楽的に百万円の楽器の何百倍の音響特性を持っているのであろうか。答えは明らかにノーである。(中略)
繰り返していえば、クレモーナの銘器の値段は、再現不可能なものとしての骨董的な価格である。(p52)

この一言で片付いちゃった気もするのですが(笑)、まあ蛇足を。ストラディヴァリウスは確かに銘器でありますが、それは音楽的な意味に加え、骨董品としての価値としての意味も持ちます。
TVでたまにやる、「ウン億円のヴァイオリンとウン万円のヴァイオリン、さてこの音色はどちらでしょう」という「音色当て(利き耳)」で明確に区別できるほど「音色の価値」は少ないのかな、と思います。*1
当然ながら「音色に価値を与える」という意味で高級な楽器を使うという効果は大いにあると思います。
しかしながら著者は一方で「古典的な美」から商業主義に移り変わっていく流れに警鐘を鳴らしています。
そして、もう一つの「神話」は「悪魔」パガニーニ
悪魔的な演奏技術を持ち、死後に教会から埋葬を拒否されたと言われている「天才」パガニーニ
著者は、彼の生い立ちやエピソードを並べ彼に対し更なる評価を訴えかけます。
パガニーニの演奏は、

シューベルトシューマンショパンを感動させ、リストを歯ぎしりさせ、ゲーテの心に深い釘をうちこんだ(p167)

ほどクラシックの大家に影響を与えています。曲ではなく、彼の演奏が、です。
演奏だけで大衆の心を酔わせる、まさに「悪魔」だったのです。
最後に著者はヴァイオリンが商業主義の影響を受け、「ギシギシゴシゴシ的(p210)」にただただ大音量を発するのみの装置になった、と述べています。
ヴァイオリンを殺したのは誰か。
「楽器」の神話ストラディヴァリウスと、「演者」の神話パガニーニ。二つの神話から、ヴァイオリンが巻き込まれた流れが多角的に浮かび上がります。
もちろんクラシックトリビアとしても良書でありますが、「ヴァイオリン」を「音楽」と代替できそうな音楽論で、非常に勉強になりました。

*1:余談ですが、TVでは借り物の高価な楽器を使っている場合、演者が緊張して音色が震えることも多々あり、「音色としてはウン万円の楽器のほうが巧い」なんてこともあると思います。