『極限捜査』(オレン・スタインハウアー/文春文庫)

極限捜査 (文春文庫)

極限捜査 (文春文庫)

「人に話すと、自分の耳もはじめてきく気がするんだ。この目で見てるし、死んだことはわかってるんだが、だれかを通じてようやく実感するんだ。そういうのって、あるか」
(本書p178より)

 前作『嘆きの橋』に続く〈ヤルタ・ブールヴァード〉シリーズ2作目である本書は、前作から8年後の1956年の東欧が舞台になっています。ハンガリー動乱(参考:Wikipedia)とう東欧民主化の原点ともいえる事件が起きた年を背景とした物語は、前作より個人と国家の関係についてさらに深く切り込んでいます。
 本書の主人公は民警のフェレンク・コリザエール。前作であまり出番はありませんでしたが、*1、民警でありながら小説を書いているという異色の捜査官が本書の主人公です。もっとも、小説家としての彼はアイデアがまったく浮かばずに筆が止まっている状態ですが。そんな創作論に絡めての気になるやりとりが作中にはあります。

「しかし、〈プロットは死んだ〉とはきいてるだろう」
「死にましたか」
「『ユニマテ』で読んだんだ。社説だったかな。プロットとは、人に人生の総和の錯覚をあたえんがための資本主義的構成物である。それで人の生きかたを、ブリー・チーズのように切り分けて値をつけ、売ることも買うこともできる」そこでにやりと笑った。「さいわいにして、わたしは詩人だから、影響はないがね」
(本書p59より)

 一般に資本主義と対をなすのは共産主義でしょうが、資本主義にしろ共産主義にしろそうしたイデオロギーは、ポストモダン風にいえば「大きな物語は終わった」(参考:Wikipedia)と評されるなかにあって、本シリーズでは果たしてどのような意義を見い出すことができるのか。まさに本書のテーマそのものだといえるでしょう。
 前作との大きな変更点として人称の変更があります。前作は三人称描写でしたが、本作はフェレンクの”わたし”という一人称描写になっています。この変更には、国家と個人の関係を問い直すという明確な狙いが読み取れます。

「こんなのは」わたしの言葉の上に手が伏せられた。「まるでその……心の支えになるものではない。最初から最後まで――なんというか、この、わたし、わたし、わたし。わかるか」
「いや、わからない」
 彼は膝で足を組んだ。「こんなものに、フェレンク、だれが興味を持つと思う」
 私は肩をすくめた。
「それだ。わたしがいいたいのは。だれも持たない。自分だけだ。いいか、きみが書くべきは、人を結び付けるテーマ、だれもがかかわりを持てるテーマだ」
(本書p217より)

 作中で”わたし”を否定するような言説を書きながら、本書はどこまでも”わたし”で進んでいきます*2。捜査官として国家権力を担う一方で、”わたし”という個人の物語を綴るフェレンク。そこに生じる矛盾と葛藤こそが、全体主義国家が抱える問題そのものなのです。
 本書は、個人と国家の関係を問い直す一方で、家族(夫婦)という”最小単位の社会”の関係をも問い直すものにもなっています。ありがちな夫婦の間の問題ではあるのですが、シリーズ全体のテーマ・背景というしっかりした背骨があるので、そうしたものにも普通とは違った意味や読み応えが生まれているのが面白いです。
 本書は、”わたし”の視点で描かれてはいますが、

 ことこまかに書いたりして、一歩下がって謝らなくてはいけない。あまり告白でやることではなく、わたしもよくよく考えたすでなくてはならない。だが、そのあとのことをぜんぶわかってもらうには、蜘蛛の巣のようにからまった状況をのこらず説明しなくてはならない。でないと、なにひとつ本当にはわからないからだ。
(本書p269より)

という外側を意識したメタな文章によって物語性が付与されています。また、目次を読むと「おや?」と思う仕掛けが用意されていまして、その意味は最後まで読めば分かるのですが、ちょっと不思議な結末を迎えます。虚構のなかに真実という幻想を見い出すような奇妙な感覚が心地よいです。
 こんな風に紹介してしまうと思想小説のように思われてしまうかもしれませんが、本書の本領はあくまでも警察小説でしょう。事件の捜査や政治的圧力に苦悩する刑事たち。その刑事たちの間にも軋轢があります。職務に忠実にあろうとしても、共産主義国家という国家のイデオロギーが何よりも優先される社会にあっては、そのイデオロギーがときに恣意として入り込んできます。捜査官たちは自らの正義をどこに求めるべきなのか。国家が示す正義に唯々諾々と従うことで良しとするのか。それとも……?
 次作では、謎に包まれた人物、公安捜査官ブラーノ・ゼウが主人公とのことですが、どのような人物に描かれているのか興味が尽きません。早期の刊行・翻訳が待たれるシリーズです。
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*1:それゆえに、シリーズものではありますが本書から読んでもあまり差し支えはないでしょう。

*2:途中、”きみ”という二人称による中間章が挟まりますが、これには理由があります。